国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Madagascar  2002年11月15日刊行
飯田卓

● マダガスカルの南北朝統一

以前みんぱくの広報誌に書かせていただいたことだが、インド洋の西に位置するマダガスカル共和国では、国を治める大統領が二人になるという、日本の南北朝時代を思わせる政変劇が生じた(「マダガスカルのふたりの大統領」『月刊みんぱく』2002年6月号)。この騒ぎはその後どうなったのか。

結論をいえば、国内的には一方の大統領が国政のすべてを掌握した。だが国際的には、この政権が完全に受け入れられたとは言いがたい状態にある。

政変のきっかけとなる大統領選挙の投票日が、昨年12月16日。事実上、当時の大統領ラチラカ氏と新人候補ラヴァルマナナ氏の一騎打ちであった。新人ラヴァルマナナ氏は、マダガスカルの食品会社社長であり、首都アンタナナリヴ市の現職市長でもあることから、首都のエリート層を中心に選挙戦を展開して支持層を広げていた。開票の結果は、現職ラチラカ氏40.89%、新人ラヴァルマナナ氏46.21%の得票率だったが、この時点では大統領が決まらなかった。マダガスカルの憲法では、旧宗主国のフランスと同様、過半数の票を得る候補がいなければ上位二候補が決選投票で民意を問うことになっているからである。

この結果が発表された直後、新人ラヴァルマナナ氏は、開票が公正かつ透明でなかったことに抗議し、首都近辺でのゼネストを呼びかけた。これに対してラチラカ氏は海岸部に拠点を移し、内陸に位置する首都の補給路を断って兵糧攻めをおこなった。2月には新人ラヴァルマナナ氏が大統領就任を宣言し、ラチラカ氏が外港に遷都したことで、対立は明確になった。いくつかの主要都市では、分裂した軍隊が衝突して民間人をも巻き込むという深刻な事態にまで発展し、この状態が6月末まで続くことになる。

この間、事態が好転しそうな見込みもあった。4月には両候補がセネガル(アフリカ)で会談し、12月におこなった投票をもう一度集計しなおすことに合意したのである。これを実施したところ、新人ラヴァルマナナ氏の得票率が51.46%で過半数を占めていたことが発表されたのだが、今度はラチラカ氏がこの結果に抗議して事態がふり出しに戻った。

一連の報道を見ていて強く感じたのは、憲法や国際協定がいともたやすく無効になってしまうという状況であった。この前のアメリカ大統領選挙でも僅差の投票結果が再集計されたが、マダガスカルのような混乱は起こらなかった。こうした違いは、民主主義の成熟度の違いのみに起因するのではなく、開票における不正や誤りを生じにくくするテクノロジーの違いにもよるのではないかと思うが、ここでは論ずる余裕がない。ともあれ、憲法や国際協定などのルールが発動しないという状況では、両者の対立は深まるばかりだと想像できる。

この状況を打開した要因はいくつもあろうが、政治学に門外漢の私が見たところ、国際社会のさまざまな介入がもっとも重要だったと思える。選挙当初から、ラチラカ氏はフランスに、新人ラヴァルマナナ氏はアメリカに後押しされていると言われていたが、そうした単純な構図を裏づけるように事態は収束していったのである。

事態が急展開した6月下旬から7月上旬のヘッドラインを拾ってみよう。6月19日には、ラチラカ氏の仏人傭兵と伝えられる部隊がタンザニアから送還され た。21日には、南アフリカからラチラカ氏の差し向けた暗殺部隊が飛び立ったという情報が流れている。無根拠の情報ではないのだろうが、早期における暗殺 未遂の情報が取り上げられず、このタイミングで初めて暗殺者の存在を国際メディアが報じたのは偶然だろうか。翌週の27日にはブッシュ大統領が突如、新人ラヴァルマナナ氏を新政権として認めることを表明し、日本政府がこれに続いたのち、7月3日にはラチラカ氏を後押しするといわれていたフランス政府がラヴァルマナナ政権を承認した。そしてラヴァルマナナ軍は、7日にラチラカ政権の「首都」トアマシナ市に入城し、国内的な対立はこの日をもって解消したのである。

国際的な政権承認に勢いを得てラヴァルマナナ軍が動いたことは明らかであろう。このことは、国際社会の調停機能が健全なことを示しているようにも見えるし、逆に国際社会が内政干渉を強めているようにも見える。果たして実態はどちらに近いのであろうか。

ひとつだけつけ加えておこう。最初に述べたように、ラヴァルマナナ政権は、11月現在でも国際社会に完全に受け入れられたわけではない。アフリカ統一機構(OAU)に代わって7月に発足したアフリカ連合(AU)が今もなおマダガスカルを加盟国として認めていないからである。対立が始まった当時、AUはまだOAUと呼ばれていたが、マダガスカル問題に関しては両候補の会談の実現に向けて努力をしてきた。ラチラカ氏が敗北宣言をしていない以上、この問題の決着はぜひともAUのリードで実現したいと考えているのに違いない。こうしてみると国際社会も決して一枚岩ではなく、欧米にしろアフリカにしろ、それぞれの思惑を実現するべく一国を手玉にとっているように見えて仕方ないのだが、いかがであろうか。

飯田卓

◆参考サイト
外務省ホームページ:マダガスカル共和国
マルク・ラヴァルマナナ氏陣営のサイト(フランス語)
ディディエ・ラチラカ氏陣営のサイト(フランス語)