国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Laos  2003年1月29日刊行
平井京之介

● 社会主義と王制

今月5日、ラオスの首都ビエンチャンで、14世紀に国家をはじめて統一したファーグム王の生誕と、ランサーン王朝建国650年を祝う記念行事が盛大におこなわれた。高さ4メートルにおよぶ王の銅像の除幕式があり、当時の衣装をまとった市民1,000人ほどが市中心部を行進した。わたしの知る限り、旧王朝に関連する大きな式典がラオスでおこなわれたのはこれがはじめてである。1975年の社会主義革命で王制を廃止したラオスが、なぜいまこうした行事を催したのであろうか?

インドシナ半島の小国ラオスは、細長い内陸の国である。面積は日本の本州とほぼ同じで、人口はわずか540万人。東で人口7,800万人のベトナム、西で人口6,200万人のタイと接している。国土の47%が森林で、農林業と水力発電のほかは、これといった産業もない「最貧国」である。

ソ連崩壊以降、兄貴分ベトナムのラオスにたいする影響力は弱まりつつある。60年代から70年代前半にかけて、ともにベトナム戦争を闘った。革命後も、軍事面を中心に親密な関係を保ってきた。しかし、肝心の社会主義の魅力が色あせ、ベトナムが開放政策を積極的に進めるようになると、両国はそれぞれ独自の道を歩み始める。80年代まで共産圏からが中心だったラオスへの資金援助も、91年以降は日本が最大の援助国となっており、近年ではドイツ、スウェーデンがそれに続いている。

他方、もう一方の隣国タイからは、メコン川をこえて大量の人とモノがラオス国内に流れ込んでいる。オーストラリアと日本の援助で、タイ・ラオス国境にふたつの橋がかけられた。これが、タイ側からの人とモノの流入に拍車をかけている。観光客が急増した。輸入品の約半分はタイ製品である。ラオスはいまやタイ通貨バーツの経済圏に組み入れられたと言われる。

マスメディアを通じて、タイの文化も人びとの生活奥深くへ入り込みつつある。メコン川沿いの都市では、アンテナを立てれば、対岸のテレビやラジオ放送が受信できる。ラオスの子どもは、タイ版「お母さんと一緒」を見て踊り、タイ語吹き替え「セーラームーン」の主題歌をうたって育つのだ。

学校へ入り、なにか新しいことを学ぼうとすると、どうしてもタイ語の本を読まざるをえない。出版業が未成熟で、ラオス語の本がほとんどないからである。ファッション雑誌も、パソコンのマニュアルも、漫画「スラム・ダンク」も、ラオスで手にはいるのはタイ語で書かれたタイ製のものである。英語や日本語、仏語を勉強するのでさえ、まずはタイ語の読み書きを覚えるところからはじまる。教材や辞書がタイ語だからだ。

ベトナムとラオスは、戦争と革命を通じた政治的なつながりが中心であった。タイとラオスは、もともと文化的なつながりが深い。とりわけ、東北タイや北タイとは歴史的に同国だったこともあり、革命以前は人の行き来がたえなかった。似通っているからこそ、ややもすると、小国ラオス全体がタイの資本主義文化に飲み込まれてしまう危険がある。

一応の「社会主義体制」を維持するラオス政府にとって、国家としての独自のアイデンティティを確立することが急務となっている。なんでもよい。タイとはちがう、ラオスという国の一体感を確かにするなにかが、早急に必要とされているのだ。社会主義国家ラオスで、いったん否定したはずの王制を祝う式典が首都で盛大におこなわれた背景には、こうした事情がある。

平井京之介(民族文化研究部助教授)

◆参考サイト
外務省ホームページ:ラオス人民民主共和国
ラオス政府観光局
セーラームーン(タイ語表示)