国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

ちいさなお話、ちいさなお話 2003年8月13日刊行

江口一久

● 語りの楽しさに魅せられて

**特別展「西アフリカ おはなし村」解説書より抜粋**

西アフリカのほとんどの民族は、ながいあいだ、文字をつかわない生活をしてきました。そこでは、社会も文化も、文字をもたずに発達してきました。すべての知識は文字を介さず、頭のなかにおさめられていました。どんなにすばらしい話でも、語りの時間をすぎると、きえさってしまいます。わたしが、西アフリカでながいあいだ調査・研究がつづけられたのは、ことばをおぼえて、語りの楽しさに魅せられたためです。かれらの語りの世界はじつに豊富です。本当の話、だれがどんな語りができて、どんな語りをしてくれるかは、そこにながいあいだすんでみないとわかりません。ある人はわたしに500話かたってくれました。こちらがその気になれば、いくらでも話をきくことができます。

語りには、さまざまなジャンルがあります。今回の「西アフリカ おはなし村」では、昔話というジャンルに焦点をあてることにしました。昔話とは、「むかしむかし」などの句をもってはじまる話ということになっていますが、ようするに、昔からかたりつたえられてきた物語です。

昔話のほとんどは、日が暮れて夜になってからかたられます。フルベ族は、「昼に昔話をかたると、食べ物が手にはいらなくなる」とか、「昼に昔話をかたると、ウシの乳がでなくなる」などといい、昼間にかたるのを禁じています。そこには、昼は労働、夜は休息というきまりがあるのです。サバンナ地帯には雨期と乾期があり、雨期は労働、乾期は休息とかんがえられていて、昔話は乾期によりおおくかたられます。

子どもが最初の昔話をきくのは、自分の屋敷のなかです。すこしおおきくなっていくと、近所の友だちのすむ屋敷にでかけていきます。屋敷のなかには、女のいる空間と、男のいる空間があります。幼年期には、子どもは女のいる空間にいることがおおいいのですが、成長とともに、それぞれの性別の人にいる空間にいる時間がながくなります。

子どもが昔話をきくのは、年長の祖母や祖父のいる空間です。とりわけ、祖母の役割がおおきいのです。だいたい、西アフリカの家族は、わたしたちのかんがえているような核家族ではなく、拡大家族といわれるものです。拡大家族はサイズがおおきいので、昔話の語り手や聞き手にはことかきません。

おおまかにいうと、西アフリカの昔話の三分の一は、人間の家族が登場するお話です。この家族の登場するお話では、人が家族のなかでどのようにして、心の葛藤を解決しながら、人間らしい人間になっていくかがかたられています。これは、家族昔話といえるものです。そこには、おなじみの継母と継子、子どものない女、みなしごなどがでてきます。

家族のかかわる昔話には、なぜか歌がよくでてきます。これは歌をつかって、この話を印象づけるためではないでしょうか。

三分の一くらいは、動物の登場する昔話です。この昔話のなかで、動物の特徴をうまくとらえて、活躍させます。実際の話、動物が話しをしたり、人間のようにふるまうことはありません。じつは、動物をつかって、この世の話をしているのです。この動物話で、子どもはこの世間でどのようにしていきていくかまなびます。力のない気の毒な村人をシラミが演じます。道化の役は、いつも腹をすかせているハイエナがはたします。頭がよくて、すばやい知恵者の役はウサギやリスが演じます。しばしば、ウサギやリスは、その悪知恵のために失敗します。

次に精霊のでてくる話があります。残りは、世間一般の人の登場する昔話だといえます。これには、王さま、王子、村人、男、女、盗人、狩人などが登場します。要は、昔話の語りをつうじて、子どもが家族のなかでのあり方にはじまり、世間一般のことを心のふかいところでまなぶというわけです。

江口一久(民族文化研究部)

◆参考サイト
「西アフリカ おはなし村」プロジェクトチームのサイト