国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Reunion 2004年5月13日刊行

飯田卓

● インド洋のフランス・レユニオン島、そしてマダガスカル島

レユニオン島のことは、日本でどれほど知られているのだろうか。そこがインド洋に位置しヨーロッパの一部でもあると言えば、多くの人が面食らうにちがいない。レユニオン島は、世界に4ヶ所あるフランス海外県のひとつで、アフリカ大陸の東に位置する島である。ちなみに他の3つはマルティニーク、グアドループ、そして仏領ギアナで、いずれもカリブ海ないし大西洋に面している。

インド洋に位置していても、レユニオン島はまぎれもなくフランスである。そこで生まれた人たちはフランス国民だし、島の代表は国会議員として本国へ送り出される。買い物のために用いる通貨は、多くのヨーロッパ諸国と同じくユーロである。

この島は、私が長らく調査してきたマダガスカル島と同じく、戦前にはフランス植民地と位置づけられていた。レユニオンが正式にフランスの海外県になったのは1946年、マダガスカルが独立したのは1960年である。2つの島にはいろいろな違いがあるが、もっとも大きな違いは植民地化以前の歴史にある。マダガスカルでは、植民地化(1886年)以前に数々の王国が興亡していたのに対し、レユニオンではそれがなかった。16世紀にヨーロッパ人がこの島を発見したとき、レユニオンは無人島で、島の資源を世界的な貿易ルートに送り出す者が誰もいなかった。そこで17世紀以降、フランス人たちがそこへ入植し、交易網との関わりを保ちつつ、最初は実にささやかなかたちで島の資源を世界に送り出していた。しかし、18世紀のコーヒー栽培ブームや19世紀のサトウキビ栽培ブームをとおして、フランス人たちは島を大規模に開発していった。そのための労働力として、アフリカ大陸やマダガスカル島から多数の奴隷が、後に奴隷制が禁止されてからはインドや中国から多数の賃金労働者が連れてこられた。

つまり、植民地化以前に土地の領有がなされていたマダガスカルとちがい、レユニオンでは、ヨーロッパ人が最初から島の運命を左右してきたのである。住民はヨーロッパ人の子孫にかぎらず、世界各地に起源をもつのだが、以上のような経緯のため、ヨーロッパの一部に組み入れられても大きな異論がなかったのである。

わたしはいま、そのレユニオン島にいる。あらためて思うのは、ここがたんにヨーロッパなのではないということである。バスに乗ってみるとマダガスカル語を頻繁に耳にするし、アフリカ大陸で話されているスワヒリ語のような言葉も聞こえる(たぶんコモロ語だと思うが、私にはよくわからない)。大学の職員にもマダガスカル人やモーリシャス人がいる。ヨーロッパ人のような外見の人でも、実は植民地時代にマダガスカルで生まれたという人はけっこういる。それから、フランス本国からのツーリストをめあてに、マダガスカルの行商人たちが各種の工芸品を島に持ち込んでいる。不思議なことに、マダガスカルのみやげ物は、レユニオンに来るツーリストの人気も集めているのだそうだ。

この島はちょうど、インド洋諸国を移動しながら生きてきた人たちが行き交う交差点のようなところなのだ。その背景にはもちろん、インド洋地域のなかでもっとも生活水準が高いという事情がある。フランス本国から送られてくる情報、そして世界各地から送られてくる商品。それらに囲まれながら生活することを夢見て、インド洋各地の人びとがこの小さな島を目指すのである。

極東人であるわたしもまた、同じようなものであっただろう。海外渡航旅券や滞在許可証、大学の受入許可証やトラベラーズチェックなど、さまざまな書類によって私は身分を保証されていた。インド洋諸国の人たちも、似たような書類に身を固めてこの島にやってきているはずだ。しかし、バスの中で会ったマダガスカル人たちのうち、いったいどれくらいの割合の人たちが、この島に根づくことになるのだろうか。決して高い割合ではなかろう。だが、長期の働き場所を見つけだし、滞在許可証を得ることができれば、この島の待遇はそれほど悪くない。雇用期限が切れても、次の職を探すまでのあいだは、失業保険を受けることもできる。フランス国籍をもつ結婚相手を探し出せれば、永住することもできる。

さまざまな経済指標からみて「貧しい」といわれるマダガスカルの人びとにとって、ゆきとどいたサービスや商品を容易に入手できるレユニオンは、魅力的なものにちがいない。この島はいわば、大衆消費社会のショーウィンドーなのである。海外に出たことのないマダガスカルの友人たちにこの話をすれば、その多くが、自国の将来をこの島に重ね合わせるだろうと思う。

ただし、外見に目を奪われて、肝心なことを忘れてしまってはいけない。レユニオンの経済は本国からの多額な援助によって成り立っており、けっしてひとつの島だけで完結してはいないからである。手元の統計資料によると、2002年度の失業率は31%で、生活保護手当(RMI)だけで3億ユーロが支給された。県の歳入額7億ユーロのうち、6500万ユーロは補助金および配当金、7400万ユーロは借用金である。海外との直接的な商取引をみると、輸入が29億ユーロであるのに輸出は2億ユーロにすぎない。

言いかえれば、レユニオン島は、フランス本国というフィルターをとおして世界と結びついてきた。いっぽうマダガスカル島は、1991年の多党化や2002年の政変をとおして、世界との直接的な結びつきをいよいよ強めている。インド洋に浮かぶ2つの島は、今世紀の後半を境に対照的な運命をたどってきているのである。

飯田卓(民族文化研究部助手)

◆参考サイト
フランスの海外県(在日フランス大使館のホームページより)
2002年のマダガスカルの政変(みんぱくe-news7号「World Watching from Madagascar」より)