国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Johannesburg  2005年5月19日刊行
川口幸也

● トップ・オブ・アフリカ

南アフリカのヨハネスブルグの中心部にカールトン・センターという40階建ての高層ビルがある。このビルの最上階には有料の展望台があり、四方を見渡すことができる。展望台はその名もトップ・オブ・アフリカ。なるほど、人工構造物としては、アフリカ大陸で一番高いのかもしれない。そこから眺めるヨハネスブルグの景色は、なんとも捨てがたい。古びた赤レンガ造りからメタリックな輝きを放つ斬新なデザインのものまで、大小さまざまなビルに埋め尽くされた市内中心部は、ちょっと見にはニューヨークのマンハッタンを思わせる。郊外に目を転じると、ところどころかつての金鉱が黄金色の地肌をさらけだしている以外はほぼ深い緑に覆われている。この土地に人が住み始めたのはわずか120年ほど前だというのがにわかには信じられないぐらい整った街並みだ。

ところがこのヨハネスブルグ、そうした超高層から見る平和な景色とは裏腹に、いまではもっぱら世界でもっとも治安が悪い都市のひとつとして有名である。トップ・オブ・アフリカという名前も、こうなると皮肉だ。

聞くところによれば、ヨハネスブルグの治安が悪くなったのは、1990年代になってからだという。アパルトヘイトが廃止されて以後、国内のタウンシップや近隣諸国から黒人が押し寄せてきてヨハネスブルグの中心部に住み着き、やがてもとから住んでいた白人層を追い出す格好になってスラムを形成した、というのだ。国外からの移民には不法滞在者も少なくないらしい。

南アを訪ねたのは今回が初めてだが、じっさい会う人間全員から異口同音に、ヨハネスブルグは気をつけろ、と忠告された。その中には、ヨハネスブルグの美術館でたまたま言葉を交わしただけの、コンゴのルブンバシから出稼ぎに来ている男、つまり当の移民もいたから、やはりこれは本当なのだろう。特に彼らが強調するのは、旅行者が一人でカメラを持って歩いたら必ずやられる、ということである。あんまり何度も判で押したように同じことを言われるので、こちらも腰が引けはじめ、つい引っ込み思案になってしまう。

けれども、である。勇を鼓して街を歩いてみると、ラゴスやダカールといったアフリカ大陸のほかの都市とさほど変わらないように思えてくるし、よく見れば雑貨屋や料理店を営んでいる中国人や韓国人のおばさんもいる。もしかしたら、いわれているほどでもないんじゃないか・・・と、そこまで思い至って、もう十数年も前に、何度かニューヨークのハーレムを訪れたときの記憶が私の中で不意に蘇えってきた。じつはまったく同じような印象を、ハーレムに抱いたことがあるのだ。

こんどの滞在中に会った知人の一人に、子どものころからずっとヨハネスブルグの中心部に住んでいる人物がいたので、私はそんな自分の感想を率直にぶつけてみた。ちなみに、彼はイギリス系の白人で、ウィッツウォータースランド大学で美術を教える先生である。

「なぜ、サントンとかの新しくできた高級住宅街に引っ越さずに、治安の悪いヨハネスブルグにいるんだ」

「サントンなんてあんな味気のない街はいやだね。それにヨハネスブルグだって、普通に生活している分にはなんともない」

要は、彼にいわせれば、ひとつふたつの事件はたしかにあったのだろうし、今だってあるかもしれない、だがそれはどこにだってある話で、結局根っこにあるのはアフリカと黒人に対する偏見であり、それが噂と二人三脚で増殖していったのではないか、というのである。

彼の考えは偶然私のそれに近かった。ただ、あくまで彼は少数派だ。それに、高を括って深みにはまるというのはよくある話だ。まして私の場合、なにぶんにも初めての、しかも短い滞在だったので、どちらともいえないというのが正直なところだ。できれば、さまざまな立場でヨハネスブルグの酸いも甘いも経験された方がたに、一度その辺の事情を聞いてみたいと思う。

川口幸也(文化資源研究センター助教授)

◆参考サイト
外務省ホームページ:南アフリカ
南アフリカ共和国大使館ホームページ
南アフリカ観光局の公式サイト