国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Rome 2005年8月17日刊行

宇田川妙子

● ローマにチャイナ・タウンが出来た?!

ここ数年ローマを訪ねると、イタリア人の知り合いから、ローマに「チャイナ・タウン」が出来たという話を、頻繁に、しかも、ちょっと困惑した口調で聞かされる。

場所は、テルミニ駅の近くの、ヴィットリオ・エマヌエーレII世広場の周辺。そこは、かつてローマ最大の生鮮市場でもあったが、市場が別の場所に移転すると移民たちが急に流入しはじめ、中でも、近年、中国人が目立ち始めるようになった。実際、この界隈に足を踏み入れると、ところどころにアフリカ系移民の装飾品店などはあるものの、中国人による衣料品店やスーパーマーケットなどがずらっと並び、ここは一体どこなのか、一瞬、戸惑ってしまうほどである。

イタリアはこれまで、ヨーロッパの中では「移民の(より稼ぎ甲斐のあるドイツやフランスへの)通過国」と見なされることが多かった。しかし、各地で移民に対する規制がさらに厳しくなり、イタリア経済も体力をつけてくると、移民たちもイタリア国内に滞留するようになってきた。ここには、「ベルリンの壁」崩壊以降、旧社会主義国からの移民・難民が急増したことや、イタリア人自身がいわゆる3K(キタナイ、キツイ、キケン)労働を嫌がり、移民がそれを肩代わりするようになったことなども絡んでいる。移民に対するイタリア社会の対応は、差別・排除から受入れ・支援まできわめて複雑だが、いまや移民が、質量ともにイタリア社会に不可欠な存在になりつつあることは間違いない。

そんな中、気になるのが、中国移民の位置づけである。

イタリアでは、移民は一般的に、アフリカ系のモロッコ人や旧植民地のチュニジア人、旧社会主義国系のポーランド人、アルバニア人、ルーマニア人などなど、その出身国にそって識別されて、個々の特徴が類型的に語られることが多い。 アジア系では、フィリピン人やベトナム人の名前がよく聞かれるし、ペルー人やエクアドル人という中南米移民も話題になる。そして、そのそれぞれが、モロッコ人だったら行商人、フィリピン人だったら家政婦という具合に、職にかんしても「棲み分け」がなされているという。もちろん実態はもっと複雑だが、中国人も主に衣料品の製造・販売にかかわっていると説明される。

しかし中国人にかんしては、その上さらに「変だ」という評価がされやすい。それは、彼らが犯罪と結びついて危険視されているというよりは、イタリア社会との接点をなかなか持たないことにあるようだ。

彼らは、彼らだけで集まって居住しているだけでなく、自分たちで衣料品の作業場を作ったりして、職場も自給しようとする傾向がある。行政や支援団体による語学や就労のための研修コースを利用する者も、他の移民に比べると非常に少ない。犯罪でさえ、中国移民の場合、イタリア社会を巻き込むというよりも、彼らの内部で起きているという。そして、上述のローマの「チャイナ・タウン」こそが、こうした外から見えない中国移民コミュニティの象徴となり、イタリア社会の困惑をかきたてているのである。

たしかに中国移民との関係は、イタリア社会にとってはまだ歴史が浅く、困惑もそれゆえのものかもしれない。しかしこの困惑は、いまや在留外国人の第5位を占めるという急増ぶりや、最近、中国製の廉価な製品がイタリアの経済を圧迫しているという国際経済状況によって、さらに悪化しているようにも見える。 今後、中国移民とイタリア社会の関係はどう変化するのか、そして、「チャイナ・タウン」の評価はどうなっていくのか―それは、さらにグローバル化が進む中、イタリア社会が移民ともにどう生きていくかについての、新たな指標となるに違いない。

宇田川妙子(先端人類科学研究部助教授)

◆参考サイト
イタリア共和国(外務省ホームページ)
Caritas Italia(カリタス・イタリア)
ISTAT(イタリア国立統計研究所)
CENSIS(社会政策調査センター)