国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Paris 2006年8月16日刊行

吉田憲司

● ケ・ブランリー美術館の開館

今年、2006年の6月、パリに新しい美術館が開館した。ケ・ブランリー美術館である。この美術館は、これまで、人類博物館(Musée de I'Homme)と国立アフリカ・オセアニア美術館(Musée National des Arts d'Afrique et d'Océanie)に収められていたコレクションを統合し、新たなコレクションも加えて、非西洋の芸術と文化、とくに「アフリカ・オセアニア、アジア、南北アメリカの芸術と文化のための美術館」として新設された。これにともない、人類博物館と国立アフリカ・オセアニア美術館は、それぞれ再編、閉鎖されることとなった。計画初期には、「基礎美術館」(Musée des arts premiers)あるいは「基礎文明美術館」(Musée des arts et des civilizations premiers)といった名称で呼ばれたこの美術館は、「基礎美術」という語が、未開美術や原始美術といった用語と同様に、それらの美術が人類の美術の初期の段階に留まっているといったイメージをいやおうなく喚起することを考慮し、最終的に、美術館が位置する地名を取って、ケ・ブランリー美術館と命名された。しかし、シラク政権の文化政策の目玉として建設された美術館だけに、パリ市民のなかには、この美術館を「シラク美術館」と呼ぶ人びとも多い。

6月20日、私は、同じ民博の大森康宏教授とともに、この美術館のオープニングに参列した。美術館は、エッフェル塔を間近に臨むケ・ブランリーの地に、セーヌ河に寄り添うようなかたちで築かれている。建築のデザインは、同じパリのアラブ世界研究所の設計でも知られるジャン・ヌヴェルの手による【参考写真1】。建物の外、セーヌ河の側には密な植栽が施され、窓ガラスも木の葉の模様で彩色されている。意図的に「密林」をイメージさせようとしていることがうかがえる。一方、建物の反対側、エッフェル塔側は、一面大きな透明ガラスで覆われ、植栽もほどこされていない。中に入ると、それが、エッフェル塔を指呼の間に望むための仕掛けであることが納得される。

オープニング・セレモニーは、盛大であった【参考写真2】。アナン国連事務総長の祝辞に続き、シラク大統領が自ら新しい美術館の目的と役割について熱弁を振るった。参列者は300人くらいだろうか、世界各地の博物館・美術館関係者や人類学者の姿がみえた。レヴィ・ストロースの姿もあった。もう98歳になるはずであるが、かくしゃくとしている。父・マルセル・グリオールの跡を継ぎ、西アフリカのドゴン社会の研究を続けてきたカラム・グリオールも参列していた。また、イギリスの人類学者メアリー・ダグラスも、年齢を感じさせない元気な姿をみせていた。オープニング・セレモニー自体が、「人物の博物館」の趣を呈していた。

シラク大統領の演説は、よく練られていた。「世界の芸術と文化に優劣は存在しない」とし、新しい美術館が、「文化を超えた対話の場となる」ことを謳うものであった。オープニング・セレモニーの後、私は、その大統領の言葉を反芻しながら、美術館の館内をめぐった。

展示場は2階に位置している。1階から2階へと続く細長いアプローチは、純白にしあげられ、その先の真っ黒なトンネルを抜けると、薄暗い展示室にたどり着く。展示室は、アフリカやオセアニアといった地域で分けられているが、間仕切りの高い壁はなく、いずれも、西アフリカの内陸部でよくみかける泥壁をおもわせる低い塀で仕切られている。展示物は、大部分ガラスケースに入れられ、その正面の側には解説のパネルやキャプションがいっさいみられない。展示物の解説は、ガラスケースの側面に添えられている。「作品」の美的鑑賞と、その文化的背景の理解とを混同せず、明確に分離するための意図的な配慮だという(オープニング・セレモニーの翌日開催されたワークショップでの、元教育研究部長モーリス・ゴドリエの発言による)。展示されているものは、上述のとおり、旧・人類博物館や、旧・アフリカ・オセアニア美術館の所蔵品であるから、その多くは、19世紀末から20世紀の前半までに収集されたもので占められている。現代の作品は、まったくといってよいほど含まれていない。

真っ白なアプローチと、泥塀で仕切られた暗い展示室。森林の模様で覆われたガラスの外に「密林」が広がるセーヌ川の側と、透明で開放的なガラスで覆われ、どこからも塔を仰ぎ見ることのできるエッフェル塔の側。美的鑑賞と文化的理解の分離。ケ・ブランリー美術館には、こうした明確な2項の対立がいたるところに組み込まれている。その両者をつなぎ、「対話」を実現する場として、この美術館が構想されたということなのであろう。しかしそれは、同時に、西洋と非西洋、ヨーロッパと「アフリカ・オセアニア、アジア、南北アメリカ」の区別を前提とした考え方であることも事実である。率直に言って私にはそれは、西洋と非西洋のあいだに今一度「文明」と「未開」という区別を設定し、アフリカ・オセアニア、アジア、南北アメリカを改めて「未開視」(primitivize)するものに思えてならなかった。

もとより、同じパリのルーヴル美術館には、2000年の4月に「アフリカ・オセアニア、アジア、南北アメリカ」の展示室が開設され、地域と文化の区別なく、世界の芸術を総覧する場が設けられている。また、ケ・ブランリー美術館には、中国や韓国、日本の各時代の美術作品は収められていないが、それは、それらの美術に特化したギメ美術館が既に存在するということで説明されるであろう。いわば、これまで、必ずしも正当に評価されることのなかった地域の芸術と文化に焦点をあてた美術館を築くことで、それらの地域の芸術と文化を再評価し、パリ、あるいはフランス全体として、世界の芸術と文化を等し並みに遇しようというのが、ケ・ブランリー、あるいはフランス政府の側の主張である。そうした目的が、果たして、このケ・ブランリー美術館を通して実現できるのかどうか。西洋と非西洋の区別を極端なかたちで視覚化した建物と展示が完成した今、その区別を相対化し、文化の壁を乗り越えていく試みが、ケ・ブランリーのスタッフたち―その中には館長をはじめ、私の知己も多く含まれている―のこれからの活動に求められている。

吉田憲司(文化資源研究センター教授)

◆参考サイト
ケ・ブランリー美術館ホームページ
外務省ホームページ「各国・地域情勢 > フランス」

◆参考写真

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【写真1】ケ・ブランリー美術館

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【写真2】オープニング・セレモニーの様子