国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Papua New Guinea  2006年10月18日刊行
市川哲

● パプアニューギニアからみるグローバリゼーション

モノ、ヒト、カネや技術、情報等が地球規模で流動する状態を指すグローバリゼーションは、現在世界のキーワードの一つとしてしばしば言及される。だがグローバリゼーションは必ずしも世界各地で均質的な状況を生み出すわけではなく、地域ごとにさまざまなバリエーションが存在する。南太平洋のパプアニューギニアも例外ではない。

オーストラリアは1975年にパプアニューギニアが独立するまで、宗主国としてこの地を統治してきた。独立以後もパプアニューギニア諸都市に居住し、政府や企業で働くオーストラリア人が少なくない。例えば外国人居住者の子弟向けのインターナショナル・スクールがいくつかあるが、もともとはパプアニューギニアに在住するオーストラリア人の児童たちのために設立されたものである。

だがパプアニューギニアが独立して30年が経ち、こうしたオーストラリア人の数は減少の一途をたどっている。それと反比例するかのように増加しているのが、東アジアや東南アジアから流入する人びとや物品、ビジネスである。近年、オーストラリア人に次いで目に付く外国人はフィリピン人である。パプアニューギニアの独立以降、オーストラリア人の行政関係者が帰国し、職業的な隙間が生じると、それを埋めるかのようにして、英語が堪能で専門技術を持ったフィリピン人移民がやってくるようになったためである。現在、こうしたフィリピン人は官庁や企業の事務職員として働くだけでなく、小規模商店の経営者も増加している。また、国内各地の薬局では、フィリピン人の薬剤師を非常によく見かけるようになってきている。

次によく見かけるのは中国系移民である。植民地時代から主にプランテーションの労働力となっていたのは、広東省出身の中国系移民であったが、近年では広東省に限らず中国各地から流入して来ている。例えばニューブリテン島北端の都市ラバウルには、かつては広東省出身者のコミュニティが存在したが、現在では福建省福清市出身者の方が多くなっている。こうした旧移民と新移民は、お互いに使用する中国語方言が異なるため、相互に意思疎通をすることが必ずしも容易ではない。

人の移動のみならず、パプアニューギニアで販売される商品にも変化が見られる。商店に並ぶのは、旧宗主国のオーストラリア製品が大多数を占めていたが、最近はマレーシア製品が増加している。特にマレーシア製の飲食物や洗剤等にはマレー語の説明や商品名がそのまま表記されているものもあり、一体、パプアニューギニアの人々はどのような思いでこのような商品を買っているのだろうかという疑問も生じる。

以上のようなパプアニューギニアにおけるグローバリゼーションの諸相は、旧宗主国と旧植民地という、二つの地域間の関係の中でのみ捉えるのではなく、アジア太平洋地域のさまざまな潮流の中で、日常的な生活の諸側面に注目することにより理解する必要がある。

市川哲(機関研究員)

◆参考サイト
外務省ホームページ パプアニューギニア
日本パプアニューギニア協会
国際機関 太平洋諸島センター