国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Paris  2007年2月15日刊行
園田直子

● ケ・ブランリー美術館の開館 ―舞台裏での資料移動、整備、管理

昨年(2006年)6月、パリに新しくケ・ブランリー美術館が開館したニュースは、すでに「World Watching from Paris(62号)」で紹介されているので、記憶に新しいかと思う。開館後半年ほど経った11月末、同美術館で資料管理にたずさわる知己の研究者から、開館にいたるまでのコレクションの移動、整備、管理という舞台裏の全容をきく機会を得た。

ケ・ブランリー美術館のコレクション約30万点の中核をなすのは、かつての人類博物館((Museé de I'Homme)のコレクション約25万点と、国立アフリカ・オセアニア美術館(Museé National des Arts d'Afrique et d'Océanie)のコレクション約2万5000点である。まずは2001年10月から2004年9月にかけて、全資料を新しい美術館へ移動するための準備作業が行われた。もとの館の目録と照合した後、資料1点ずつを計測し、写真撮影し、データベースを作成する。必要に応じて、資料に番号を新たにマーキングしたり、ホコリを取ったり、修復の作業を施している。虫害にあいやすい材質の資料は、すべて低酸素濃度処理で殺虫処理する。低酸素濃度処理とは、資料を酸欠状態の環境におくことで殺虫する手法で、化学薬剤を必要としない、自然環境に配慮した殺虫法である。これら一連の作業が終了した資料は、フランス国立図書館の一角に仮置きされた。この準備作業の工程がわずか3年という期間でできた背景には、1997年から構想が練られており、ホコリ取りの作業ひとつをとっても、民族資料を専門とする修復家4人のもと1日16人が2交替で作業するという究極の体制が整えられていたことがあげられる。

仮置き場から新しい美術館への資料移動は、準備作業の段階と同様、バーコードで管理され、数ヶ月間で効率的に進められた。展示に選定された資料を優先しながらも、開館時には、全資料が新しい建物内へ移動し終わっていたという。それぞれの資料を開梱して取り出し、収蔵庫の所定の場所に収納する作業は、これからの優先事業になっている。地下2階にある収蔵庫の総面積は6000㎡を超え、周囲には殺虫処理施設、写真撮影スタジオ、資料閲覧室が設けられている。収蔵庫は、アフリカやオセアニアといった地域別分類が原則であるが、衣類、毛皮、絵画、大型資料はそれぞれの形態に応じた収納設備のある収蔵庫になっている。なお、楽器だけは収蔵庫ゾーンではなく、建物をつらぬく巨大なガラスの柱の中に5層に分けて収蔵されている。このガラスの柱は展示室からはもとより、エントランスからも見ることができるもので、いわゆる「収蔵展示」になっている。

ケ・ブランリー美術館には、収蔵品やメディアテークを管理する部署、研究・教育をあつかう部署とはべつに、企画展示や出版物をあつかう部署が設けられている。日本でもそうだが世界的にも、博物館・美術館には展示活動や資料の適切な管理だけでなく、資料のさらなる有効活用、社会との連携が求められており、同美術館の組織づくりにもこの流れが反映されているように思う。収蔵品やメディアテークを管理する部署のスタッフが実質的には資料管理に当たる一方で、同美術館は大々的にマルチサービス契約(CMS, Contrat Multi Service)を外部業者と結び、多くの業務を委託しているという。内部スタッフと外部業者、それぞれの活動が連携して協同できれば大きな成果を生む制度ではあるのだが、これからの経緯に注目していきたい。

民族資料を対象としている点で、ケ・ブランリー美術館も民博も、資料管理に関する共通の問題を抱えている。多様な材質でできている民族資料。虫やカビの被害を受けやすい民族資料。もともと長期の保存を想定していない民族資料。ほかの博物館資料にくらべると、はるかに多くのコレクション数となる民族資料。民博においても、民族資料のもつ特殊性をふまえて、資料管理システムを見直しているところである。館内外の人々の理解と協力のもと、資料の保存と活用が両立できてはじめて、民族資料という文化資源を生かすことができる。

園田直子(文化資源研究センター助教授)

◆参考サイト
ケ・ブランリー美術館ホームページ
『民博通信』No.107「特集 ひとにものに自然にやさしい虫害管理─ポスト2004年の博物館」
みんぱくe-news62号