国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

開館30周年記念特別展「オセアニア大航海展」開幕 2007年9月11日刊行

ピーター J. マシウス

マオリ語で太平洋のことをTe Moana nui a Kiwa (キワの大海原)といいます。キワとは'Te Moana nui' すなわち大(nui)海原(Moana)の守護神のことです。
西太平洋に属する東南アジア地域には、大小様々な島々が比較的近距離に位置しています。
18,000年前に最後の氷河期が終了したとき、海面は現在より約100メートル低かったのです。 その後海面は少しずつ上昇し、約3,000年前に現在の高さに達しました。多くの土地が失われ、山が島になりました。土地の喪失は悪いことのようですが、船を使って迅速な移動、コミュニケーション、貿易をするという新しい可能性を創り出したのです。

5,000~6,000年ほど前から、オーストロネシア語を話す人々が東南アジア一帯へ移住し始めました。これらの人々はおそらく商人や農民達で、東南アジアの島々は、新しい船のデザイン、海運技術と長距離貿易ネットーワークの発達した土地となりました。

ジャワ島のボロブドゥール寺院には大型ダブルアウトリガーカヌーを彫った8世紀頃のレリーフがあります。このダブルアウトリガー仕様はかなり以前からインド洋北部周辺からスリランカ、インド南部、マダガスカル、アフリカ東部への貿易航海のために使われていたと考えられます。同様のカヌーは、現在も東南アジアで魚釣りや貿易に使われています。

東南アジアからニューギニアを越え,さらに東にいくと島と島のあいだが離れており、太平洋を横断する長距離航海のために、より強く、コンパクトな船が必要でした。そのためミクロネシア、メラネシア、ポリネシアでは、航海カヌーは、一つの大きな船体と一つのアウトリガーでできているか、二つの大きな船体が甲板でつなげられているものが一般的です。

カヌーのデザインは地域により異なります。大型の航海カヌーは貿易、社交、移住に使われました。小さいものは魚釣り、水や食料の確保、近隣の村の訪問,あるいは戦いに使われ、こうしたカヌーは櫂で漕ぎました。トム・デイビス(ヴァカ:ポリネシアのカヌーの物語、1992年)によると、儀式用に作られたカヌーも あり、それらは非常に高い名声を得ていたので使用されることはなく、「陸地で 消滅した」そうです。

頻繁に使用されていたカヌーにとって最も危険であったのは、木材に穴を開けてカヌーを弱らせるフナクイムシの被害に遭うことでした。使用していないときは、できるだけカヌーを乾燥させなければなりません。大型で貴重なカヌーには、乾燥と管理のための屋根付きカヌー小屋(マオリ語でorau)を建てる必要がありました。Orauという言葉には人々の集会所という二番目の意味があり、トム・デイビスによると実際多くの訪問者がある場合には、その接待に使われていたそうです。

民博は大小あわせて213の船を保有しています。 民博自体が未来の世代の鑑賞や学習のために船を保管する一つの大きな船小屋といえるでしょう。ぜひこの特別展で「キワの大海原」に親しんでください。

ピーター J. マシウス(研究戦略センター准教授)

◆関連ウェブサイト
開館30周年記念特別展「オセアニア大航海展―ヴァカ モアナ、海の人類大移動」