国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Malaysia  2008年10月15日刊行
市川哲

● アラブ人ツーリストとガハル

マレーシアの首都クアラルンプール(KL)で開かれた国際会議に参加するため、ホテルの予約をしようとしたところ、どこも宿泊客でいっぱいだと言われて驚いた。日本の夏休みの時期ではあったが、はたしてホテルの部屋の確保が困難なほどの観光客がKLに来るのか疑問に感じた。理由は数年前から増加したアラブ人ツーリストがKLのホテルを予約しているからであった。

マレーシアにおけるアラブ人ツーリストは以前から時々見かけたが、首都のホテルの予約が困難になるほど増加しているとは考えてもみなかった。マレーシアにおけるアラブ人ツーリストが増加した理由はいくつかある。マレーシアは熱帯に位置するとはいえ、中近東に比べれば気候も穏やかであること、同じイスラームを国教としている国家であるため食事の問題が少なく、礼拝のためのモスクもあちこちにあること、英語が通用しインフラも比較的整っていること等が主要な理由である。だがもっとも大きな理由は、2001年の9.11事件以降、アラブ人ツーリストがヨーロッパや北米に行くのが困難になってきたため、代わりにマレーシアを旅行先に選ぶ人々が増加したからである。

この時期、KLの目抜き通りであるブキッ・ビンタンでは地元のマレーシア人や欧米の観光客ととともに、真黒なヒジャーブで全身を隠した女性が、夫や子供たちとともに闊歩している。KLにはこのようなアラブ人ツーリストを対象とした店や屋台が増えている。レバノン料理やイラン料理、さらにはイラク料理を銘打つレストランや、水タバコのパイプを備えたオープンカフェ、お土産物を売る屋台が続々とオープンしている。

このような屋台で売られている商品の一つがガハル(gaharu)である。ガハルとは日本では沈香と呼ばれる香木の一種であり、東南アジアが主な産地である。ガハルにはいろいろな種類があり、抽出したオイルを精製して香水にしたり、木片を焼いて香のようにして用いたりする。このガハルがアラブ人ツーリストにとっての人気商品なのである。

ガハルはジンチョウゲ科の樹木に偶然できるものであり、現在では栽培も試みられているが、通常は熱帯雨林の中で採集される。マレーシアでは昔から、主にボルネオ島内陸部で、先住民たちが熱帯雨林に分け入って探し、華人やマレー人を相手に交易していた。ガハルはインドや中国、ヨーロッパ向けの商品として1000年以上前から取引されてきたのである。

前述したKLの屋台の店員たちも、近年急速に増えたアラブ人ツーリストをビジネスチャンスと見なし、かつての外部世界との交易品ガハルをお土産として売り出すようになったようだ。9.11以降の世界における、アラブ社会のツーリズムの動向の変化に呼応するかのようにして、マレーシアではムスリムを主要な顧客とした観光産業が発達し、かつての森林産物ガハルも、マレーシアの主要なお土産として取引されるようになってきたのである。

市川哲(機関研究員)

 

◆関連ウェブサイト
外務省ホームページ・マレーシア
マレーシア政府観光局公式サイト・クアラルンプール