国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from India  2009年1月14日刊行
三尾稔

● テロとテレビ放送

昨年11月下旬ムンバイで発生したテロ事件は、日本人旅行客も巻き込まれ、多数の犠牲者が出る痛ましい事件だった。テロの起きたとき、私はちょうどインドで調査中だった。調査地はムンバイからは離れていたが、現地の人たちもこのテロ事件に強い関心を寄せ、ヒンドゥー、ムスリムを問わずほとんどの人が非情なテロに対する憤りを口にしていた。

事件への関心の高まりにはいくつかの要因がある。多数の同胞が故なき犠牲者となったことへの義憤はその第一だろう。またテロが狙った場所のもつ意味も大きい。厳しい警戒の中、商都ムンバイが再び標的となったという衝撃。その上、襲われたホテルの一つタージ・ホテルはインド人なら誰もが知る由緒あるホテルだった。植民地時代に欧米人専用ホテルから叩き出されたインド人資本家が、抗議の意味も込めてそのすぐ隣に洋風の、しかも豪華さの点ではるかに上をゆくホテルを建てた。それがタージ・ホテルだった。つまり、テロはインドの誇るランドマークを狙って企てられたのである。

事件への関心をあおったもう一つの要因は、連日24時間にわたり生中継を続けたテレビ放送にも求められる。10年あまり前からインドのテレビ放送は自由競争となり、今ではニュース専門チャンネルだけでも10局近い。放送で使われる言語も様々だ。今回のテロ事件は制圧までに時間がかかったこともあり、これらのニュースチャンネルは事件終結まで争うように現場からの生映像を流し続けた。私のいた地方都市でも人々は文字通りテレビの前にくぎづけになって、国家的なランドマークが炎上する様に悲憤し、制圧戦で犠牲になった軍人や警官の葬儀に涙し、テロの制圧の模様を息を呑んで見守っていた。この間、テレビはライブでインド国民を結びつける媒体となっていたのだ。

テロリスト側もテレビを十分に利用していた。テロが全国、全世界に放映されることは計算済みだったはずである。だからこそ最後まで投降することなく、できる限り関心を引きつけ人々に恐怖を植えつけようとしていたのだろう。また立てこもっていた建物に公安警察が急襲をかけた際、そのライブ中継をテロ支援者が見ており、携帯電話や衛星電話を使って建物内部のテロリストに情報を伝えていたという報道もなされていた。このため、この種の事件のニュース報道のあり方をめぐってインド国内では論議も起こっている。

ムンバイのテロは、テレビという媒体の上での戦争でもあった。私にとっては、インドあるいは南アジアが電気メディアを通じた情報社会の網の中に完全に取り込まれていることを、はしなくも感じさせられる1週間となった。

三尾稔(研究戦略センター)

◆関連ウェブサイト
外務省ホームページ・インド