国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Doha  2009年3月11日刊行
川口幸也

● ドーハの美術館―中近東イスラム諸国の美術館ブーム

先般、ミュージアムの調査のためにトルコを訪ねた際、途中、飛行機の乗り換えでカタールのドーハに立ち寄る機会があった。乗り換えとはいっても少し時間に余裕があったので、街の中を歩いてみることした。

ドーハといえば、日本のサッカーファンには忘れられない名前である。「ドーハの悲劇」と呼ばれることになったその試合を、私もテレビで見たのを覚えているが、正直にいえば、ドーハが正確にはどこにあるのか今まで知らなかった。

ドーハは、アラビア半島の西岸、ペルシャ湾の真ん中からやや南側に位置する人口35万弱の小さな都市である。中東の都市といえば、昨今はアラブ首長国連邦(UAE)のドバイが取り上げられることが多いが、このドーハでも豊かな天然ガスと石油資源を背景にここしばらくは建設ラッシュが続き、その結果、中心の街区は奇抜なデザインの高層ビルで占められ、様相は以前と比べたら一変している。

空港からタクシーで街の中心部に向かう途中、海辺に、というより海のなかに、ぽつんとピラミッドのように建っている石造りの白い建物が見えた。運転手に訊くと最近できた美術館だとか。私はさっそく足を運んでみた。

美術館の名称はイスラム美術館、昨年の11月に開館したばかりだという。周りに比べる物がないからそうは見えなかったが、近づいてみると建物は意外に大きい。ルーヴルのピラミッドで一躍世界に名を馳せた中国系アメリカ人I. O. ・ペイの設計だという。最上階の5階まで吹き抜けになったエントランスの広いロビーの正面にある大きなガラスの窓からは、海越えに高層ビル群が見える。躍動するドーハをさりげなく見せつけようとするなかなか手の込んだ演出だ。展示室は1階から4階まで、これも思っていたよりははるかに広い。何より驚いたのは、ディスプレイの質の高さである。入念に練られた配置と照明が、イスラムの陶磁器や金銀の装飾品、織物などの一点ずつを、まるで現代美術のように鮮やかに浮かび上がらせているのだ。

館のスタッフは総勢160人、運営に関しては大英博物館から全面的な助言を受けているらしい。そのうち10人ほどいる学芸員の一人、ギエルリッヒ氏は、飛び入りにも関わらず1時間半ほども時間を割いてていねいに館内を案内してくれた。彼がいうには、ヨーロッパから中央アジア、東南アジアにまで至るイスラム美術の地理的な広がりと多様性を示すのが狙いなのだという。

この10年内外、シンガポールや韓国をはじめアジアの国々で美術館の建設が盛んに行われたが、いまそれは中近東イスラム諸国に飛び火している。アブダビ(UAE)へのルーヴル美術館、グッゲンハイム美術館の分館の誘致が話題を呼んだのはつい先ごろのことだし、ヨルダンでもいくつかの美術館の建設が進められていると聞く。なんとも繚乱たる美術館ブームである。

だが、これらを単なるブ-ムと捉えるのは少々人がよすぎる。おそらく背後には天然資源の権利をめぐる関係各国のさまざまな思惑が蠢(うごめ)いているに違いない。アートや美術館は、そこでは政治的な意図をソフトに包みこむオブラートとして使われているのである。中近東における美術館建設ブームは、文化と政治という古くて新しい問題を私たちに投げかけている。

川口幸也(文化資源研究センター)

◆関連ウェブサイト
外務省ホームページ・カタール国