国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

みんぱくのオタカラ

日本で最初に作られた点字活版印刷機  2009年8月12日刊行
広瀬浩二郎

神戸訓盲院(現在の兵庫県立視覚特別支援学校)の設立者・左近允(さこんじょう)孝之進は明治38(1905)年、日本初の点字新聞「あけぼの」を発刊し、全国の視覚障害者に送った。左近允は鹿児島県出身で、日清戦争従軍後に全盲となった。彼は按摩・鍼灸の修行を続ける中で、視覚障害者の教養の低さを痛感した。明治後期の日本は、近代国家の仲間入りをすべく新しい知識や技術を積極的に導入していた。それらの情報は、当時盛んに発行された新聞を通じて広く国民に伝えられた。しかし、視覚障害者は文字を持たないために、一般社会から排除されていたのである。明治23(1890)年に制定された日本点字に出会った左近允は、訓盲院設立と同時に、点字新聞の発刊を決意した。

明治期には点字刊行物が少なく、欧米から輸入された高価な点字製版機が国内に2台あるのみだった。左近允は少年時代に鹿児島で地元新聞社を見学した経験に基づき、点字活字による印刷機を自身で開発し、「あけぼの」の印刷や点字図書の発行に取り組んだ。視覚障害者が健常者と同等の教養を身につけ、「人」として生きていく道を切り開いた左近允は、その夢の結実を見ることなく明治42(1909)年に39歳で夭折した。

点字の考案者ルイ・ブライユ生誕200年、そして左近允没後100年の本年、兵庫県立盲学校同窓会の努力により左近允の点字活版印刷機が復元された。企画展「・・・点天展・・・」では、左近允の「夢」を多くの方々に知ってもらうことを願って、会場入り口で本機を紹介している(企画展終了後、民博に寄贈予定)。

広瀬浩二郎(民族文化研究部)

◆今月の「オタカラ」

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企画展終了後、民博に寄贈予定

◆関連ページ
企画展「点字の考案者ルイ・ブライユ生誕200年記念・・・点天展・・・」