国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Laos 2011年6月17日刊行

伊藤渚

● サムタイの村の今

ラオス北部フアパン県サムタイ郡の郡都から車で3時間ほど、ベトナム国境近くのT村に滞在していた時のことだ。副村長が私を呼び止めて「来週、あなたの友達が村に来るよ」と言う。その後も、何人もの村人から「私の友達」の話をきいた。「あなたと同じくらいの年の日本人で」「サムタイ出身のラオス人と結婚した」「夫はシェンクワンで仕事をしている」「あなたの友達はお酒が強いよね」等々。しかし、サムタイ出身のラオス人と結婚した友人には心当たりがなく、誰のことだか分からない。数日後、郡都からバイクに乗ってやってきた男性が、私宛の手紙を持ってきた。それは日本人のSさんからで、私がT村にいると聞いたのだが携帯がつながらないので手紙をことづけたとあった。T村は携帯の電波を受信できる場所が限られており、かかってきた電話を受信することはできない。電話して尋ねてみると、果たしてSさんはまだ未婚であった。どうも、サムタイ出身者と結婚した別の日本人の話と情報が混ざってしまったらしい。しかし、村人たちは、情報に多少混乱があるとはいえ、サムタイ郡にいる日本人がどこで何をしているのかを、うわさ話というメディアを使って把握しているのであった。

数年前から、村には新たなメディアがやってきた。ラジオとテレビである。T村では村内を流れる川の水力で小規模な発電を行っており、衛星アンテナでラオスやタイのテレビ番組を見ている。電力が不安定でテレビを見られない時は、ラジオをきいている。ラジオは、郡都からバスで5~6時間かかる県庁所在地のサムヌアまで行かなければ売っていないアルカリ電池をどこからか入手して使う。T村に滞在していたのは、折しも3.11東日本大震災の直後であった。T村の村人は、テレビやラジオを通して、全員が大震災の発生を知っていた。そして、私の顔を見ると、口々に、「日本では大地震と洪水があって、大勢の人が亡くなったんでしょう。あなたの村は大丈夫なの?」と尋ねてきた。

しかし、電気のかわりに無くなってしまったものもある。山を覆っていたヒノキ林である。今や、村を流れる川の水量は3分の1以下になり、森の動物や川の魚が激減、水不足のために使えなくなった水田も発生している。村人たちは、ヒノキは日本へ行ったのだと言う。だが、彼らは語る。「木を切らないと発展できないからね。」そして、「T村は楽しいでしょう?日本人に、ヒノキの木がどんなところから来たのか伝えてね」と笑顔で私に言うのである。

これまで培ってきたものと「発展」の間で、彼らの生活はこれからどうなっていくのだろうか。今、さしあたって、私にできることといえば、彼らの言うように、それを見届け伝えられる人に伝えていくことなのだろうと思う。

伊藤渚(総合研究大学院大学博士後期課程)

◆研究テーマ
ラオス北部サムヌア地方における織物の技術伝承とその変容

◆関連ウェブサイト
グリーンフォーラム
ラオス人民民主共和国(日本外務省ホームページ)