国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Taiwan  2011年11月18日刊行
野林厚志

● 国立台湾博物館の資料にある日本統治時代の記憶

筆者が最近関心をもっているのが、台湾の原住民族の人々が施政者や研究者によって、どのように個々の民族集団に分類されてきたか、また、原住民族の当事者たちは民族集団の境界をどのように認識してきたかということである。こうした問題意識にもとづき、台湾原住民族の民族分類の歴史的な背景を明らかにすることをねらいとした科研費の研究プロジェクトを他の大学の研究者と共同で進めている。

今夏、このプロジェクトの一環で、筆者は国立台湾博物館(台博)と国立台湾大学(台大)人類学博物館で資料調査を行った。台博は植民地時代の台湾総督府博物館を継承したものであり、台大は台北帝国大学を前身とする。筆者の調査の目的は、日本統治時代における民族分類のありかたを物質文化という観点から考えることにあった。

ここ数年、台湾は博物館の設立や博覧会の開催が盛んである。昨年は花の万国博覧会が開催され、台湾大学では各学部のもつ資料室等を博物館に格上げし、それらを統括する「校史館」とよばれる大学博物館本部がたちあげられている。

台博の資料室に日参していたところ、思いがけない資料が収蔵されていることを知った。昭和天皇が皇太子の時代に台湾を訪れた際に博物館に寄贈された品々である。皇太子の台湾滞在は大正12年の4月に約10日間で、台北、新竹、台南、高雄と台湾を縦断したうえに、大陸との間にある澎湖島にまで足をのばしている。当時の記録からは、台博では原住民族の風俗、生活の状態、言語等に加え、徳川家康が原住民族と駿府で接見したことを描いた図画に関心をもたれたとのことであった。

さて、肝心の寄贈品の内容は、移植鏝(いしょくごて)、ビリヤードのキュー、台湾料理の調理器具、紋章、磁石といった台湾滞在中に使用されたものであった。残念ながら、今回の調査ではそれらを実際に見ることはできなかったが、台博の収蔵庫の中にある意外な日本統治時代の発見であった。

野林厚志(研究戦略センター准教授)

◆関連ウェブサイト
国立台湾博物館
台湾(日本外務省ホームページ)