国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Uganda  2012年12月14日刊行
岩谷洋史

● ミエル・アグワラ

私は、2012年2月下旬から3月上旬にかけて、ウガンダ共和国の北西部に位置するネビ県パディエレ郡パモラ村を訪れた。パモラは、コンゴ民主共和国との国境にも近く、アフリカを南北に縦断する大地溝帯の谷間にある。この地域で暮らすアルル人の葬送儀礼である、ミエル・アグワラを研究するプロジェクトチームのフィールドワークに同行したのである。この研究プロジェクトの主な目的は、この儀礼を映像で記録することであり、私はビデオカメラでこの儀礼の撮影をした。

ミエル・アグワラとは、「アグワラの踊り」という意味である。アグワラと呼ばれる長いホルンのような楽器を使って、踊りがなされるのであるが、これは「泣くための儀礼」と解釈されている。これは、親族集団のリーダー的な人物が亡くなった場合にしか行われない葬送儀礼であり、同県で開催されたのは、1980年代が最後である。その理由は、経済的な資金がなくなってしまったから、あるいは、伝統的な慣習に対するキリスト教会の反対にあったからと言われているが、定かではない。どちらにしても今回は30年振りに行われたことになる。

この儀礼は、ヤギの供犠など、決められた手続きにしたがって、厳粛に諸行為が遂行される。しかしながら、数十年間も行われていなかったがために、儀礼の執行者たちは、記憶を手掛かりに試行錯誤をしつつ、絶えず調整をしながら、この死者を弔う儀礼を遂行していった。その一方で、アグワラやドラムの演奏の下で、人びとは大声で歌を歌い、楽しみながら賑やかに踊る。また、やはり数十年振りに行われる儀礼ということで、パモラ村周辺からもさまざまな人たちが集まってきた。こうした踊りは、夜遅くまで行われるのであった。むしろ、それは儀礼というよりはイベントに近い印象を受けた。

「泣くための儀礼」であるミエル・アグワラでは、悲しみのなかで行われるとは逆に、意識が遠のくほどの歓声があげられるなど、いくつもの感情がほとんど同時に交差し、ぶつかり合っていたことが印象的である。

この儀礼をどのように理解すればよいのであろうか。少なくとも、あらかじめ人びとのなかに宗教的な観念があって、その後に儀礼という形で死者への弔いが行われたとか、あるいは、何らかの感情(恐れや悲しみ、喜びなど)があって、儀礼が行われたといったように考えることはできない。つまり、観念や感情と行為(儀礼)を切り離し、前者にこの儀礼を遂行する力や原因を求めるといった考え方をとるのではなく、むしろ観念や感情は結果的に、あるいは儀礼のなかの様々な行為と同時に、出現してくるものであると考えたほうがよいように思われるのである。

岩谷洋史(文化資源研究センター機関研究員)

◆関連ウェブサイト
ウガンダ共和国(日本国外務省ホームページ)