国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

World Watching from Myanmar/Burma  2013年6月21日刊行
田村克己

● ミャンマーの「赤と黒」

ミャンマー(ビルマ、末尾の注参照)は、この1~2年、最も注目されている国の一つと言えよう。ちょうど1年前には映画『The Ladyアウンサンスーチー 引き裂かれた愛』(リュック・ベッソン監督、2011年、フランス)が封切られ、そのDVD(角川書店)も最近発売された。映画は、現実の出来事を取り込みながら、一つのドラマとして完成度の高い作品である。しかし、この映画の最後のシーンは、ビルマを知る者としてちょっと首をかしげてしまう。軟禁中のアウンサンスーチーが門の上から上半身を出し、彼女の名を叫びながらデモ行進してきた僧侶たちに赤い花を振りまく場面である。俗人が僧侶より高いところに立つことはないし、彼らに物を投げ与えることは考えられない。ましてや、女性がそのようなことをすることはあり得ない。そういえば、竹山道雄の原作(1947年)を映画化した『ビルマの竪琴』(市川崑監督、1956・1985年、日本)では、僧侶となった元日本兵が竪琴を奏でるのが重要なシーンであるが、そもそもビルマの僧侶は、戒律があって歌舞音曲に近づかないものとされ、楽器を弾くことなどない。

双方の作品とも、クライマックスと言うべき場面が誤解の上に作り上げられており、ビルマのこと、特に宗教や人々の考え方がいかに知られていないかがわかる。他方で、ビルマ社会において僧侶が鍵となる存在であることを、いずれもが大まかにしろ表現している。僧侶は、俗世から隔離された僧院などで戒律を守って修行に励む存在として、人々から尊敬を受け、それゆえ俗人の社会に対して権威を持つ。そして彼らは政治活動の先頭に立つことがあり、政府は、彼らとしばしば対峙する。一方で、政治の伝統的な権力基盤が仏教にあって、時々の為政者は僧院や僧侶に熱心に布施を行ってきた。

ミャンマーの政治にとって「悩ましい」、もう一つの存在は軍である。「民主化」の進む現在でも軍が一定の力を持つことは、憲法で保障されている。アウンサンスーチーの父は、国軍の創設者としてこの国を独立に導き、その後65年の内ほぼ50年が、軍の担う政権であった。軍は単なる暴力装置としての側面だけでなく、エリート集団として国家の中枢を担ってきた。

聖職者と軍人は、スタンダールの『赤と黒』(1830年)を思い起こさせる。この小説では、復古と革命に揺れる19世紀初期のフランス社会を生きる個人が描かれている。ミャンマーは、21世紀の今、国家として、同じように激動する社会を生きようとしている。


(注)ミャンマーとビルマは、現地において、ほぼ同じ意味であるが脈絡に応じて使い分けられている。軍事政権は英語国名をビルマからミャンマーとし、ビルマを多数派の民族名としたが、欧米諸国や民主勢力側は国名にビルマを使い続けている。ここでは、民主勢力に関わることや学術的・歴史的なことについてはビルマを用い、現国名や軍関係ではミャンマーを用いる。

田村克己(民族社会研究部教授)

◆関連ウェブサイト
記念シンポジウム講演録「激動するミャンマーはどこへ行くのか?」
「迷える『玉座』」『月刊みんぱく』2012年6月号 20頁
ミャンマー連邦共和国(日本国外務省ホームページ)