国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

春の再訪を待つエジプト古代文明 ~アラブの春が過ぎて~  2014年9月1日刊行
末森薫

「この人は誰ですか。」
2009年、初めて調査に訪れたエジプト考古学博物館(カイロ市)の保存修復室に飾られた一枚の人物写真が気になり、そう問うた。その人物が30年にわたりエジプト・アラブ共和国を掌握してきたムバラク大統領(当時)であることを知り、周りの反応に冷や汗をかいたことを覚えている。その後色々な場所で幾度となく見かけた絶対的権力者の姿も、今ではほとんど見かけることはない。

日本の支援でギザ市に建設中の大エジプト博物館のプロジェクトに携わり、2010年から2014年にかけてエジプトに滞在した。その間政情不安の影響により二回ほど日本への退避を余儀なくされた。2011年2月、北アフリカで始まった民主化を求める「アラブの春」の動乱の中でムバラク政権が倒れ、エジプトは変革の時を迎えた。その後成立したムスリム同胞団系のモルシー政権は一年という短命に終わり、2013年8月には、広場やモスクに集まり抵抗を続けていた親モルシー派の大勢の人々が、軍が行った強制排除の犠牲となった。

この二回の政変では、エジプトが誇る古代文明の遺産も大きな被害を受けている。ムバラク大統領の退陣時には、警察が機能せず、その混乱に乗じてツタンカーメンコレクションを含む貴重な文化財がエジプト考古学博物館から盗まれた。その事態を受け、大エジプト博物館に先行して建設された保存修復センターでは、軍が収蔵品を護る任務にあたった。二回目の政変では軍による強制排除の騒乱に乗じて、エジプト中部・ミニヤ市にあるマラウィ博物館の1000点を超えるコレクションが破壊・盗難の被害にあった。後に近隣の住民がお金を得るために奪ったことが分かったが、その全てが返ってきたわけではない。これらの他にも多くの遺跡や収蔵庫が襲撃にあったが、その全貌は未だつかめていない。

2014年6月、ムバラク氏と同じ軍出身のシシ氏が新たな大統領に就任した。現在の情勢を「アラブの秋が来た」と苦いユーモアを交えて形容するエジプトの友人もいる。革命以降、エジプト経済を支えてきた外国人観光客による収入は大きく減り、ピラミッドをはじめとした観光地はその活気を回復できずにいる。他方、ギザの大地で久年を過ごしてきた巨大構造物は、何事もなかったかのように、再び春が来るのを待っている。

末森薫(文化資源研究センター機関研究員)

◆関連写真

[img]
革命前、観光客で賑うエジプト考古学博物館(2010年12月 筆者撮影)

[img]
革命で焼やされた建物とエジプト考古学博物館(2011年3月 筆者撮影)

[img]
建設が進む大エジプト博物館(2014年3月 筆者撮影)

[img]
軍に警備された大エジプト博物館保存修復センター(2011年3月 筆者撮影)

[img]
革命直後、閑散とするピラミッド(2011年5月 筆者撮影)

◆関連ウェブサイト
大エジプト博物館保存修復センタープロジェクト(国際協力機構ホームページ)
Warning: Looting of the Malawi National Museum in the Upper Egypt city of Minya(UNESCOホームページ)
エジプト・アラブ共和国(日本国外務省ホームページ)