国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

文化遺産をいかにのこすか?~インドネシア・ニアス島~  2014年11月1日刊行
佐藤浩司

77段ある急な石段を転ばぬように注意しながら上りきると、目に飛び込んでくるのは石畳の広場に面して整然と建ちならぶ伝統集落の大パノラマ。伝統形式をのこす家屋だけでも120棟を超すニアス島随一の大集落である。村というよりも町と呼んだ方がしっくりくる喧噪がいつも広場にはみちている。

文化財に指定された途端に伝統集落から若者たちの姿が消えてしまうのはよくあることだ。理由はしごく簡単。伝統的な家屋は暗く不健康で、プライバシーのかけらもないことが多い。もともと家屋の目的は快適な人間生活にあるわけではないから仕方ないが、現代教育をうけた若者にこうした環境のまま暮らせというのがどだい無理な話なのである。ところが、ここニアス島では伝統集落なのに大勢の子どもや若者がいる!まず、その光景にわれわれ調査チームの目は釘付けになった。

スマトラ島の西にうかぶニアス島で調査活動をはじめて4年になる。島の南部にはいまも伝統家屋の建ちならぶ集落景観がよくのこる。その現状把握をめざして出発した調査も、度重なる村の寄り合いを経て、いまは文化財としての価値をいかに有効利用するかに目標がシフトしている。調査をする者、される者で済んでいた関係も、けっして一枚岩ではない村の社会と県政府を巻き込んだ虚々実々のアクチュアルな現場になった。日本には木造建築保存のながい歴史がある。この知識や経験を海外の文化財保存の現場で活用する絶好の機会ではないかとおもう。

ところで、なぜこの島の集落に人があふれているかといえば、伝統家屋自体が明るく健康的、プライバシーはとぼしくとも、屋内は快適そのものであるからだ。もちろん実際に人が住むとなれば台所などの改造は避けられないから、文化財保護という観点だけをとらえれば、この利点はかえってマイナス要因にしかならないだろう。

けれども、文化をになう者がいなくなってしまうような保護政策がまかり通る現状に、ニアス島は異なる道を切り開くかも知れない。

村での作業が終わり、石段までの道をとぼとぼ歩くわれわれにあちこちから挨拶の声がかかる。石段の上から見はるかす緑の森の先、インド洋にかかる夕日がきょうも世界を橙色にそめている。この村の名バウォ・マタルオは太陽の沈む村を意味する。夜のとばりが訪れるそのまえに。

※この調査は筑波大学とインドネシア、ガジャマダ大学の共同チームが主体になっておこなわれている。

◆関連写真

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巨石記念物で飾られた広場を中心に高床の伝統家屋が建ちならぶ。

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集落の中心に建つ首長の家オモ・セブア。
棟の高さ20メートルに達するインドネシア最大の木造家屋も倒壊の危機に瀕している。

◆関連ウェブサイト
パノラマフォト(佐藤浩司webサイト)
ニアス島(佐藤浩司webサイト)
インドネシア共和国(日本国外務省ホームページ)