国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

キーワードはミクロ-マクロ往還  2015年3月1日刊行
久保正敏

私は数年来、懸案を抱えていた。それは、これまで10数年にわたり調査してきた、オーストラリア・アボリジニのコミュニティにおけるインフラ整備と文化の変容に関するまとめである。

民博オーストラリア・アボリジニ研究グループの調査基地であった辺境の町にある諸機関の会議録、地元紙などのアーカイブズ史料を通覧すると、第二次世界大戦後のオーストラリア連邦政府や地域政府のアボリジニ政策と地域の動きが相関し、二大政党と地域住民の派閥の関係に重なりあうことが見えてくる。これをようやくまとめあげ、民博の調査報告の一環として刊行した。私のこうした関心は、情報工学から民博に転身して30年、門前の小僧として文化人類学や民族学を私なりに学んだ次の点にある。

ともに暮らしながら個々の人びとの生活をつぶさに調査する民族学・文化人類学は、ミクロな視点で人を見る。それに対し、地理学、歴史学、社会学、経済学などは、人の営みをマクロに捉え、マスとして人間を捉える。両者の研究スタイルは、同じ人文社会系なのに、しばしば互いに批判し反目する場面があるようだ。

私に言わせれば、この反目は、まことにもったいない。ミクロとマクロ、両方の視点を組みあわせれば新しい発想や発見が生まれ、双方に互恵的な効果があるのではないか。マクロとミクロ両視点の接合、いわば、「ミクロ-マクロ往還」「木を見て森も見る」方針が宜しいのではないか、という思いを常々抱いていた私は、ミクロ-マクロ接合をねらってインフラ整備に関わる資料の収集に努めてきたのだ。

この背景には、2014年10月刊『季刊民族学』150号「対談 チーム・オーストラリアものがたり」でも触れられているように、小山修三氏の組織した民博オーストラリア・アボリジニ研究グループ参加メンバーの専門分野の幅広さがあった。異分野の視点が混じり合うことで新たな発想が生まれる、という共同研究の組織原理は、民博初代館長・梅棹忠夫氏の基本理念だったが、私のねらいの原点もそこにある。

文理の隙間をニッチとしてきた私がリタイアするにあたってのこれからの民博への希望は、常に多くの視点を組み合わせ、時にズームインし、またアウトする、運動体としての研究スタイルを持ち続けていただきたいことである。

久保正敏(文化資源研究センター教授)