国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

世界遺産の街における文化財の保存と修復 ~ウズベキスタン・サマルカンド~  2015年5月1日刊行
寺村裕史

シルクロードの古代都市遺跡の調査で、2011年に初めて中央アジアのウズベキスタン共和国を訪れる機会を得た。それ以来、ここ数年サマルカンドを拠点に調査を実施、継続している。サマルカンドはシルクロードの中心都市として古くから知られ、14~15世紀にはティムール帝国の首都として繁栄し、2001年にはユネスコの世界遺産(文化遺産)に「サマルカンド‐文化交差路」として登録された。抜けるような青空の色とモスクの青色ドームに象徴されるように、旅行ガイドブックなどでは、「青の都」や「サマルカンド・ブルー」と紹介されることも多い。

そうしたサマルカンドの街の中でも、その巨大さでひときわ目をひく建造物としてビビ‐ハヌム・モスクを挙げることができるだろう(写真1)。モスクの名前は、ティムールの妻の名前より採られたもので、ティムールの治世中の15世紀初めに完成した中央アジアでも最大規模のモスクである。その巨大さや壮麗さ、壁面のモザイクの美しさには圧倒される。

その一方で、この建物の中で私が最も興味を覚えたのは、やや奥まった場所に公開されていた修復途中の作業場のようなところである(写真2)。外見の華やかなタイル模様とは裏腹に、あまり観光客が寄り付かないような隅にあるその場所は、いまだ修復もされず、色は落ちタイルは剥がれたままになっている箇所が散見される。しかし、そうした状況を逆手に取ったとも言えるだろうか、その作業場の前には、修復以前の建物の様子(19世紀頃)を撮影した写真パネルが飾られ、修復作業中という説明文が書かれた解説板が立てられていた(写真3)。

人為的あるいは雨風や地震などの自然の力によって、数百年という時の流れは、建造当初の建物の姿を変えてしまう。現在もユネスコなどの援助によって地道に文化遺産の保存・修復作業が続けられているが、修復には莫大な時間・労力・費用がかかる。それに、ただやみくもに直せばいいというものでもなく、やり過ぎればオリジナルとはかけ離れた、でっち上げになってしまう危険性もあり、学術的な裏付けとのバランスを取る必要があるだろう。

観光で世界遺産を訪れるとき、華やかさだけに目を奪われ「きれいだなあ!すごい!」と感動して、写真を撮るだけではもったいない。少し視点を裏側に移してみて、建造当時・修復前・修復後という各時代のその場所の情景を想像しながら、歴史の流れを感じ取るのも、面白いのではないだろうか。

寺村裕史(文化資源研究センター助教)

◆関連写真

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[写真1]ビビ‐ハヌム・モスク入り口の巨大なアーチ(右奥は小モスクのドーム)[2014年9月 筆者撮影]

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[写真2]製作途中の壁面タイル。レンガと色タイルを並べ石膏で固めているところ。奥側に立て掛けられた物は完成したパーツ。これらの各パーツを組み合わせて建物の壁面の模様が描かれる。[2014年9月 筆者撮影]

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[写真3]修復前の建物の様子を撮影した写真パネルが飾られ、左奥の解説板には「Restoration is in process」(修復は進行中)という説明文が書かれている。[2014年9月 筆者撮影]

◆関連ウェブサイト
ユネスコ(UNESCO)本部
ウズベキスタン共和国(日本国外務省ホームページ)