国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

ゾックン峠の野火――ベトナム、タイ族の囲炉裏収集のこぼれ話  2016年1月1日刊行
樫永真佐夫

昨年の東南アジア展示場リニューアルの前に、ベトナムのタイ族の村を何度も訪れた。高床式住居の台所を再現展示するためである。

火を司り、家族の平和を守るカマドの神さまが宿る囲炉裏を、簡単に譲ってくれる家族などいるだろうか。しかし、その不安は現地ですぐに解消された。私財を投じて現地に文化博物館を設立した才気煥発、明朗闊達な青年館長のおかげで、ちょうど家を改築するところだという家族の台所を、囲炉裏から火棚からまるごと引き取ることができた。薪からガスへ、炉からコンロへと、村の台所環境はまさに転換期を迎えているのだ。

ハノイから運送業者を現地まで呼んで収集品をトラックに積んで送り出し、ホッと胸をなで下ろし、私も車でハノイに向かった。

さて、ここからが本題である。
ハノイから西方に行く最初の峠にゾックンという場所がある。坂道に慣れないドライバーがよく事故を起こすことで知られている。

つづら折りになったゾックンの下り坂にさしかかった黄昏時、渋滞に出会った。交通整理の警官まで麓の町から出動している。ススキ一面の斜面にいくつか炎が見えるので、崖から車でも落ちて炎上したのだろうか。と思ったら、様子が違う。路肩に匍匐し銃を構えた特殊警官が、火の手に向かって10メートル置きくらいに配備されている。写真を撮ろうと一旦カメラをとり出したその手をすぐに引っ込めた。カメラが銃と勘違いされて、弾丸が飛んでこないとは限らない。

特殊警官のいないところまで来るとすぐさま私も車から下り、この時ばかりと民族学者らしく野次馬になった。拳銃を手に持った私服警官らが、あっさり子細を教えてくれた。

道端の小さい倉庫が麻薬輸送団のアジトだという情報を入手し、不意を突いて襲ったが、抵抗され銃撃戦に発展した。一部は射殺したが、二人が武装して斜面の藪に逃げ込んだので、火を放ち山狩りしているのだという。夕闇に野火が映えてきたころ、事態に進展がないのに飽きて私は車に乗り込んだ。

東南アジア展示場の台所には、こうした事件にも遭遇しながら収集した品々が展示されている。来館者の皆様には、板の間にある丸い籐いすに腰をおろして囲炉裏を見つめながら、遠い峠の野火でも想像していただけるとさいわいである。

樫永真佐夫(研究戦略センター教授)

◆関連ウェブサイト
東南アジア展示|囲炉裏
ベトナム社会主義共和国(日本国外務省ホームページ)