国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

見世物大博覧会  2016年9月1日刊行
笹原亮二

見世物と聞くとよくない印象を抱く人が多い。実際に聞いたことがなくても「親の因果が子に報い…」的な口上が思い浮ぶ。「見世物になる」「まるで見世物だ」といった見世物の語彙を含む表現は、いずれも否定的な意味で用いられる。否定的なことばかりでなんとも分が悪い見世物も、以前は必ずしもそうではなかった。

錦絵や番付などの残された多くの資料によれば、かつて都市の盛り場や社寺の境内では実に多種多様な見世物興行が行われ、大勢の人びとで賑わっていた。修練を積んだカラダの技芸の見世物には、綱の上で離れ業を演じる軽業、足で大小の物品や人間を操る足芸、馬に乗って芝居や舞踊を演じる曲馬芝居などがあった。モノの見世物では、籠で人物や動物を組み上げる籠細工、貝や珊瑚などの同一素材で奇抜な造形を作る一式造り物、生きているような精巧な造りの生人形、色とりどりの菊花をまとった菊人形のほか、ラクダやゾウやインコなどの動物見世物も盛んに行われた。今回みんぱくで開催する特別展「見世物大博覧会」では、こうした多種多様な見世物の全体像と江戸時代から現代に至る様相を紹介し、現在の否定的一方の見世物の印象を多少でも変えることができればと考えている。

とはいえ今回の特別展は、昔の見世物はよかったと郷愁をかき立てることが目的ではない。先頃開催のオリンピックでは、種目の採用には観客の人気の有無が重要視されるので、各種目は移ろいやすい観客の興味関心をつなぎ止めるために、ユニフォームや選手の外見や技を工夫する。こうしたあり様はまさに見世物的である。ほかにも、目玉の展示物で集客を図る美術館、イルカショーが人気の水族館、スポーツか芸能かで揺れ動く大相撲など、身の回りには見世物的な物事に事欠かない。となると、見世物の諸相や今日までたどった経緯を考えることは、現代の民衆的な文化が抱えるさまざまな問題を考えることと無関係ではなくなる。もはや見世物だからと否定してばかりいられないのではないだろうか。

 

笹原亮二(民族文化研究部教授)

◆関連写真

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絵看板 軽業・足芸一座(国立民族学博物館蔵)

◆関連ウェブサイト
特別展「見世物大博覧会」