国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

巻頭コラム

奴隷交易と海――アフリカ大陸西部の奴隷交易拠点で考える――  2019年2月1日刊行

鈴木英明

奴隷制やそれに類似した制度は世界中に存在してきた。これらは、多くの場合、その対象となる人びとを売買する奴隷交易を不可欠の要素とする。わたしはここしばらくの間、奴隷制や奴隷交易、そしてその廃止を世界史的視点から捉えようと試みている。この年末年始は、アフリカ大陸西部に残る奴隷関連遺構を訪ねる機会に恵まれた。言わずもがな、大西洋奴隷交易の拠点であった場所である。

 

近年の研究では、16世紀からの約350年間に、約1200万人がアフリカ大陸から大西洋の向こうへ奴隷として運ばれたとされる。これは、より長く存続したインド洋奴隷交易における輸送総数と同程度か、それよりも大きいとされている。

 

今回訪れた場所ではどこでも、大西洋は高い波をまっすぐに伸びる海岸線に飽きることなくぶつけていた。波だから打ち寄せるのは当然だが、それでもしばらく見ているうちに、狂気の沙汰かと思えてきた。それほど大きく強い波に見えた。奴隷積み出し拠点として諸ヨーロッパ勢力によって建てられた砦の上から眺めるだけでも怖かった。もちろん、現地の漁民たちはそんな荒波に巧みに船を操るのだが、しかし、内陸からやって来て奴隷としてこれから海を渡らせられる人びとにとって、この海は、そしてあの波音はどんな風に見え、聞こえたのだろう。

 

大西洋奴隷交易の航海中の奴隷死亡率は10パーセント前後というのが定説となっている。死亡原因としては、ぎゅうぎゅう詰めの船内など劣悪な環境がまず挙げられる。ただ、あの波を砦の上から見ていると、心理的な側面が死亡率に与えた影響がいかなるものだったのか気になってきた。もちろん、今となっては当事者に聞くことができないが、当時の 内陸部のいくつかの集団の世界観ならば、アプローチは多少なりとも可能である。海のない世界の人びとにとって、あの荒海自体は何を意味したのだろうか。

 

鈴木英明(国立民族学博物館助教)

 

◆関連写真

ガーナのエルミナ城から大西洋を臨む