国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

研究公演

2002年5月19日(日)
固城五広大 戯“仮面の宴”

  • 2002年5月19日(日) 14:30開演
  • 場所:みんぱくマダン(博物館前庭)
    〈雨天時:常設展1階エントランスホール〉
  • 出演:
    慶尚南道固城五広大保存会(代表・李潤石)
    固城五広大保存会公演の様子(QuickTime ムービー)
  • 解説:
    高正子(総合研究大学院大学 文化科学研究科地域文化学専攻)
  • ※自由参加制のため、申込み不要。ただし、特別展および常設展をご覧になる方は、別途観覧料が必要です。

朝鮮半島の仮面劇の起源にはさまざまな説があります。古くは612年に百済から日本に伝えられたといわれる伎楽を起源とする説や、17世紀以降宮廷で催されていた山臺都監劇から派生したとする説、巫俗の儀礼から発展したという説などがありますが、現在残されている仮面劇は19世紀以降に確定されたものといわれています。グロテスクな仮面を付けた、両班(ヤンバン:貴族)や僧侶に対する痛快な風刺は、まさに民衆の知恵と力が盛り込まれていると見なされています。
かつては、仮面劇は正月の15日や4月8日の釈迦の誕生日、5月5日の端午の節句などの祭りで演じられました。松明の明かりの下、車座に陣取った観客と演戯者は、見る者と演じる者の区別なく一体となって夜通しその劇的な空間を楽しみました。公演終了後、仮面はその場で燃やされます。
「固城五広大」は朝鮮半島の東南(慶尚南道)で生まれた民俗芸能で、韓国の重要無形文化財第7号に指定されています。慶尚道の独特なチュム(舞)にヤンバン(貴族)風刺、生き別れていた老夫婦の再会、そして、若い妾との諍いによるハルマン(老婆)の死。クライマックスにハルマンの野辺送りへとつながる固城五広大は、笑いと風刺で民衆の生活世界を表現したものです。



プログラム
1.キルノリ
仮面劇が始まることを知らせるパレード。
2.タル(仮面)コサ(告祀)
仮面に宿る神に公演の成功、そして、集った人々の安寧と多幸を祈ります。
3.ムンドゥンイプクチュム
祖先の悪業により不治の病に冒されたムンドゥンイ(ハンセン病患者)が、置き忘れられたプク(小太鼓)を手にとり踊りだします。軽快なプクチュムは、病を乗り越えたくましく生きるムンドゥンイたちの姿を表現しています。
4.オグワンデノリ(五広大遊び)
東西南北を表す青・白・赤・黒それぞれののヤンバンと中央を表すウォンヤンバン(黄帝)、二人の父を持つ紅白ヤンバン、トリョン(若い官職を持たない貴族)などの7人のヤンバンを相手に語られる下男のマルトゥギ(馬夫)の諧謔的な台詞のやりとりは、たくましいマルトゥギのチュム(舞)とともに固城五広大の特徴のひとつです。
5.ピピノリ
この世のものすべてを喰らうピピに捕まったヤンバンは、99人のヤンバンを喰らい、残り一人を喰らうと天に昇天すると息巻くピピに向かって、苦し紛れに「おまえの曾祖父さんだ!」と言い放ちます。この言葉に「曾祖父さんは喰らえない」とピピはうなだれます。
6.スンム(僧の舞)
美しい二人のキーセン(姑生)に心奪われた高僧が、彼女たちを誘惑する様子をチュムで表現しています。
7.チェミルチュ(妾)
生き別れの老夫婦の再会。ところが、そのときヨンガム(お祖父さんの敬称)には妾がいて、ちょうど産気づき出産します。産まれた赤ちゃんを取り合って若い妾とハルマン(お祖母さん)が争い、赤ちゃんを死なせてしまいます。怒った妾はハルマンと争い、ハルマンが死にます。
8.サンヨノリ(葬送の儀礼)
客死したハルマンの野辺送りを伝統的なサンヨ(葬輿)でおこないます。
 



固城五広大とは
19世紀後半には現在の形式が確定されていたという固城五広大は、嶺南(慶尚道)地方の仮面劇のなかでも最も原型を保っていると評価されています。1930年以降は公演が中止されていましたが、1946年に、伽耶劇場落成式(1946年)にて再現されました。さらに、1964年には国家重要無形文化財に指定され、1973年の清州でおこなわれた「全国民俗芸能競演大会」では国務総理賞、翌74年には大統領賞を受賞するなど、芸術面でも高く評価されています。その内容は、農村社会の仮面劇らしく、素朴で男性的なチュム(舞)と、ヤンバン(貴族)に対して寛容であるところが、固城五広大の特徴です。固城五広大保存会は、国内公演はもとより米国・台湾・日本(山口県)などの海外公演も活発に行っています。