国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

企画展「南太平洋の文化遺産:ジョージ・ブラウン・コレクション」 ─Collection ─ 来歴(購入の経緯)─

解説書
企画展「南太平洋の文化遺産:ジョージ・ブラウン・コレクション」

Collection ─ 来歴(購入の経緯)
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 ジョージ・ブラウンの死後,半世紀におよぶ布教活動の合間に収集した3,166点にもおよぶ民族資料コレクションが残された.

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 これらの民族資料コレクションを,ブラウンの遺族は,まとまった一括したコレクションとして展示・収蔵するということを条件に,シドニーのオーストラリア博物館(1827年創立)と売却交渉をするが,不成立.

 1924年,ブラウンの故郷イングランド北部のバーナード・キャスルにあるボウズ博物館(1869年設立)に売却される.

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 しかし,3千を越える膨大なコレクションを維持・管理するのは,故郷の小さな博物館では困難であったため,1954年,近くのキングズ・カレッジ(現在はニューキャスル大学に所属)に転売される.

 1974年,ニューキャスル大学附属のハンコック博物館(1829年設立)に移管され,コレクションの一部が展示される.

 1985年,当時のサッチャー政権の大学予算の大幅な削減のため,財政難に陥った同大学においても,コレクションの維持・管理が困難になってくる.

 このころ,南太平洋の民族資料は,国際的なアート・マーケットで「貴重な美術品」として評価され,オークションでかなりの高額で取引がなされていた.そこに目を付けたニューキャスル大学の学長は,コレクションの売却を決定した.

 まとまったコレクションとしての売却が条件づけられていたため,欧米の博物館はどこも購入ができないまま,民博が購入することになり,貴重なコレクションが英国からもちだされることとなった.

 そのため,英国の研究者によって,国外への売却反対運動がおこる.このことがこのコレクションの学術的価値の高さを証明しているだろう.

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 正式な法的手続きを終え,1986年,民博所蔵資料となる.