国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

企画展「南太平洋の文化遺産:ジョージ・ブラウン・コレクション」 ─プロフィール─

解説書
企画展「南太平洋の文化遺産:ジョージ・ブラウン・コレクション」

 
George Brown プロフィール

・1835年、英国・ダーラム郡バーナード・キャスルに生まれる。父親は弁護士。5歳で母を亡くす。
・外科医の助手が初めての仕事。水素ガス爆発事件をひきおこしクビになる。
・その後、短期間サンダーランドで薬局に勤める。
・港町ハートプールの衣料店に就職。
・外国航路の船員の職を求めて、16歳でロンドンにでる。
・大西洋上のアゾレス諸島でとれる果物を輸入するスクーナー船にコックとして乗船。しかし、料理が下手ですぐに解雇。
・いくつかの船を転々とした後、伯父の紹介で東インド会社の船に乗ることになる。
・紆余曲折を経て、4年ぶりに帰郷。
・1855年3月、ニュージーランド行の船に乗り込みロンドンを出発。この船上、セルウィン師(英国国教会ニュージーランド教区ビショップ)、パッティソン師(後に、英国国教会メラネシア教区ビショップ)などをはじめとする宣教師の一団と知り合う。
・ニュージーランドのオークランドに到着後、ウェズリー・カレッジで神学を学ぶ。
・1860年、シドニーにあったオーストラレーシアン・ウェズリアン・メソジスト伝道教会本部での会議で、正式に聖職者としての地位が与えられる。
・同年8月2日ワインガロアの宣教師の娘と結婚。新妻とともに9月4日、キリスト教布教のため、最初の赴任地サモア諸島に旅立つ。
・これ以降半世紀にわたって南太平洋の島々で伝道活動に従事する。この間彼が新たに創設した三つの教区における信者、教会などの1907年における統計は、別表のようになる。彼が布教を始めた当初これらの地区には信者は一人もいなかった。
・1908年宣教師の仕事から引退。
・1913年、当時のオーストラリアのキリスト教会で最も名誉ある地位、オーストラリア・メソジスト教会協議会会長に選出される。
・1917年、シドニーにて没。


1908年,George Brown, D. D. : Pioneer, Missionary and Explorer. London : Hodder and Stoughton. (Reprinted by AMS Press, New York in 1978).『ジョージ・ブラウン─先駆的伝道者・探検家─』
1910年,Melanesians and Polynesians : Their Life-Histories Described and Compared. London : Macmillan. (Reprinted by Benjamin Blom, New York in 1972).『メラネシア人とポリネシア人─ライフ・ヒストリーの記述と比較─』

1907年 統計表
George Brown, D. D. : Pioneer, Missionary and Explore p.536. より