国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

特別展「工芸継承―東北発、日本インダストリアルデザインの原点と現在」   展示概要

展示概要
プロローグ:明治の伝統工芸

明治政府は、近代国家建設の一環として殖産興業・輸出振興政策を積極的に進めていきました。その原動力となったのが、万国博覧会(万博)への参加や内国勧業博覧会の開催でした。
日本が公式に初めて万博に参加したのは明治6年(1873年)のウィーン万博です。このときに出展された工芸品は、万博会場に訪れた人々を驚愕させました。出展された金工や漆工品、七宝や牙彫の作品は大変な人気を博し、工芸品の輸出が飛躍的に伸びるきっかけとなりました。また、明治政府は国内物産の開発を促進し、生産を奨励するために、内国勧業博覧会を積極的に展開しました。ここで出展された多くの製品も工芸品でした。
このように明治時代の日本の産業の柱は工芸品が担っていたのです。

 
第1章 国立工芸指導所

商工省工芸指導所(工芸指導所)は昭和3年(1928年)に宮城県仙台市に設立されました。工芸指導所では、工芸の近代化、産業化の推進と東北地方の工芸業界の発展をめざした活動が進められ、設立当初から、世界的にも著名な建築家ブルーノ・タウトや建築家ル・コルビジュエのデザインパートナーであったシャルロット・ペリアンらに指導を仰ぐなど、世界を意識した活動を展開していきました。そして、工芸界やデザイン界をリードする組織として、剣持勇、豊口克平など数多くのデザイナーを輩出しました。このような歴史を持つ工芸指導所の活動をあらためて概観すると、まさに日本におけるインダストリアルデザインの原点の一つとして位置づけることができます。

 
第2章 現在に活かす工芸

東北歴史博物館では、「工芸指導所の活動を現在の観点から捉え直してみよう」をテーマに展示ワークショップ「現代に活かす伝統の手わざ」を開催しました。工芸指導所の試作品を出発点とし、現在の暮らしのなかの伝統工芸、手仕事を考える試みです。デザインに興味のある高校生やデザインを学ぶ大学生、工芸指導所の活動の歴史そのものに関心のある大学生とともに、工芸作家を交え、総勢30名からなるワークショップでは、討論を通して工芸指導所の活動を振り返り、試作品を参考に現在に活きるものづくりをしました。ここでは、工芸指導所の試作品を現在の感覚でみたときに、何が生み出されるのかについて、ワークショップの参加者の体験をもとに紹介します。

 
第3章 工芸資料を博物館で伝える

産業としての工芸の足跡は、博物館や大学の収集品にも見られます。国立民族学博物館では、平成28年度に「園コレクション」として京都の金工関連の製作道具を収集しました。このとき、製作道具だけではなく、製作の情景を撮影した映像記録も作成しています。また、金沢美術工芸大学には、全国各地の工芸品の工程・技法・製品の各種見本や道具、材料などで構成される「平成の百工比照」が収集されています。学生がいつでも観察できるように工夫された収蔵展示は、美術・工芸・デザイン分野における教育機関である金沢美術工芸大学ならではの活動といえます。
ここでは、博物館で工芸資料を継承する意義について、国立民族学博物館と金沢美術工芸大学の取り組みについて紹介します。

第4章 コウゲイを継承する

昭和44年(1969年)、国立機関の改組により「製品科学研究所」が誕生し、ここに「工芸」を冠する国立の機関はなくなりました。しかし、約40年間にわたる工芸指導所の活動は、日本の工芸界、デザイン界に大きな足跡を残しました。工芸指導所が目指した工芸は、鑑賞を目的とした美術工芸品ではなく、使うことで良さが分かる工芸品です。伝統的な技術を尊重しつつ、新しい技術を吸収し、使う人をイメージしながら、「暮らしを豊かにする」「持つことで楽しくなる」ことを目指して生み出される工芸品。そしてそれを生み出す手仕事こそ、先人のものづくりの精神や技術を継承していく工芸の姿ではないでしょうか。それは美術工芸、産業工芸を発展させた、コウゲイと表現した方が適切かもしれません。
ここでは、そうした美術工芸、産業工芸、未来のコウゲイの可能性について考えます。


   人工木目大皿
  (東北歴史博物館蔵)


   筒状容器
  (東北歴史博物館蔵 )