国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.2 岸上伸啓―キリスト教徒としてのイヌイット

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─ 宣教師の話がでましたが、キリスト教はいつ入ったんですか?
岸上 地域にもよりますが、一番早いのは1700年代です。しかし、キリスト教が広まるのはおしなべて1900年代以降です。
1930年代に大々的な改宗がおこったといわれています。
ただし、ぼくが1980年代に調査しているときに、宣教師の人たちも村の人たちも、まだシャーマンはいるといっていました。いわゆるキリスト教に従わない人はまだいると。ただ今はもういないといわれています。
─ 西洋文明が他の文化に接触するときに、物質文化が変わるということと、もうひとつ精神面、とくにキリスト教が非常に大きな文化変容の要因になるという話がありますね。
イヌイットの人たちの場合を考えるとき、まずカナダの白人社会の宗教事情はどういうふうな状況なんですか。
岸上 ほとんどキリスト教ですが、キリスト教徒は生まれてすぐ洗礼されて、どこかの宗派に属していますよね。そのためか、ほとんど日本人と同じで、無宗教といっていい状態です。いわゆるヨーロッパ系カナダ人をみると、当然、フランス系はカトリックが多いし、イギリス系はアングリカンが多いですね。だけどあまり熱心ではない。

─ イヌイットの間に布教していった宣教師たちというのは、もともとカナダにいた人たちなんですか。それともヨーロッパから来た人たち?
岸上 モラビアンはドイツ系ですよね。ローマン・カソリックはフランスからきています。それからアングリカン・チャーチはイギリスというふうに、もともとは外国からですね。
 

─ 外国から直接来たわけですか? アングリカンだったら、イングランドとかスコットランドとかそのあたりから宣教師が直接、布教に行ったわけですか?
岸上 モラビアンはそうですね。ヨーロッパから直接来てますね。フランスもそうなんですけれども。ただ南のほうで植民地化が始まったのは16世紀です。コロンブスが来たのが1492年で、1500年代にはフランス人がもうケベックに住んでいますから、二、三百年の歴史があるんですよ。
だからもとはヨーロッパからきていても、教会は当然南カナダにあるし、教区というのがちゃんとあるんですね。1930年代の大規模な改宗があったころというのは、神父さんとか牧師さん、宣教師の人自身はヨーロッパ生まれが多いです。だけど、カナダの教会に属していて、そこからの派遣になってますね。

─ イヌイットの人は、 80年代にはまだキリスト教徒でない人がいたということですが、今はほとんどクリスチャンになっているわけなんですか?
岸上 そうです。今の話をすると、ぼくは、じつは現在あまりイヌイット社会で現地調査をしたくないんですよ。なぜかというと、キリスト教の影響なんです。1984年に村に入ったときには、村の中にあるキリスト教会はアングリカンだけでした。これはイギリス系ですよね。イギリス系カナダ人・連邦政府・ハドソン湾会社と結びついているんです。単に宗教的な理由だけではなくて、政治的にも経済的にも、イギリス系カナダ人に力があるとみんなが思ってて、信仰もずっとイギリス国教会できたわけですね。
ところが、今何がおこっているかというと、村の中に少なくとも三つ以上の宗派があります。若い人たちがエヴァンジェリカル、それからペンテコスタル、このへんの影響を受けはじめたんですよ。80年代の半ばですね。15年前に40歳だった人はもう55歳なんです。その人たちがアングリカンといいつつ、実際やってるやりかたはペンテコスタルであり、エヴァンジェリカルなんですよ。ミサにしても踊り歌い狂う、それから自分の告白をするというところに重点が置かれてまして、敬虔に祈るというものではないんです、教会自体が。
それで、一番大きな問題は、祖父母の世代はアングリカンなんだけれども、若者たちはペンテコスタルであったり、エヴァンジェリカルであったりして、宗派が村の中の派閥にまで発展していっている。だからむしろ人間関係を悪くしてるんですね。80年代だったら、ひとつの村にひとつの教会があって、それが村を統合するひとつの役割をもってたんです。今はどうみてもそうはみえない。むしろ、どの宗派に属しているかによって人間が分断されているような状況になっているんですね。

─ 宣教師は外からきているんですか?
岸上 今はイヌイットの説教問答師が各村にいます。そういう人たちは神学校に行って称号とかをとってくるんです。だいたい各村にひとり、イヌイットの人の牧師さんみたいな人がいます。ところが説教問答師じゃなくて、ほんとうの牧師さんとか神父さんは、教区にしばられていますから、同じイヌイットでも出身地の教会にいるのじゃないんですよ。ヌナブト出身の人が北ケベックに派遣されたり、北ケベック出身の人がヌナブトに派遣されたりしています。だから地元の人間ではないです。
いわゆる白人、という言葉を使っちゃいけないんですが、総称として使わせてください、白人の神父さんとか牧師さんのいる村は少ないんです。だいたいイヌイットの人がイヌイット語で、イヌイットの教会を取り仕切っています。年に数回、司教クラスとか、その次の人たちがグループを組んでミサに回ってきます。そのときに一挙に洗礼したり、結婚式やったりします。
それから、もうひとつ問題だと思うのは、ペンテコスタルは月に一回、福祉金とか補助金とかおりる前の日に飛行機でやってきて、みんながお金をもらったらそれを御布施にもらってまた帰っちゃうんですよ。なんでそのイヌイットの人たちがキリスト教にはいりこむかというと、まわりで、ものすごい自殺率であるとか、家庭内暴力であるとか、失業であるとか、文化的に満足のできないことがいっぱいおこっているんですね。息子が自殺したりということがおこってるんですね。

─ エヴァンジェリカルとかペンテコスタルは、村の中でも集会をよくやるのですか。
岸上 やってます。ちょっと例を2つあげます。ひとつは隣の村のことです。その村には教会が四つあるんですよ。ローマン・カソリック、ペンテコスタル、エヴァンジェリカル、それからアングリカン。日曜と水曜の夜には、四つの教会が同時に開かれています。だから村人はどれかに行くわけです。
で、アクリビク村の場合は表向きは全員アングリカンなんですよ。村にほんとうは教会はひとつしかないんです。だけどじっさいには違うみんなことをやっているんです。日曜の夕方と水曜の夕方は、アングリカンの形でミサを執りおこなう。木曜の夜は同じ教会でペンテコスタルの人たちが集会をもっています。バイブル・スタディーズと称していますが、やっていることは、ペンテコスタル的なキリスト教の実践ですかね。じっさいには歌と踊りが中心ですね。これはものすごいですよ。もう泣き叫びますね。

─ 若い人が多いんですか?
岸上 その人たちは今はもう50代になってますね。息子たちも影響を受けています。イヌイットの人たちはすごく熱心なキリスト教信者です。どうしてそういうかというと、ひとつは教会の出席率がものすごく高い。村人全員ではないにしても、100人ぐらい入る村の教会が常に満杯です。どの時間でも。それから、貧しくても必ず喜捨を教会にする。争うようにする面もあるんですけど。それはカナダの南部ではもうみられない現象です。
それから、今、キリスト教がいろんな形で実践されるなかで、イヌイットの人たちは、自分たちは真のキリスト教信者だと思ってそうしているけれども、一方で宣教師の人たちはやはりそれはキリスト教の実践ではないといっています。たとえば、一夫一妻とか、いろんな約束事がありますね。だけど、表向きには一夫一妻でも、妻貸しとはいわないにしても、公然とした複婚関係がある。それが今でも残っている。法律上の結婚はしませんからね。10年同棲してて、それから籍を入れるというのはありますけどね。結婚率も非常に低いし、別れる率が非常に高いというような現象がみられますね。

─ 外からくる宣教師の人たち、ヨーロッパ系の牧師や司祭という人たちは、そういう社会関係・人間関係とかに対しては、介入しないわけですか?
岸上 ぼくが知っている白人の牧師や司祭の人たちは、イヌイットの人たちはキリスト教的実践をしてないといっています。だけど、イヌイットの人々は教会にはくるし、ちゃんと寄付もするしということで、その限りにおいては何もいわないし、むしろ人を救うのがキリスト教の宣教師の役目ですから、もっと熱心に布教しなくてはいけないなとみてますね。

─ 教会に行くのはイヌイットにとって個人的な問題なんですか?
岸上 それはなんともいえないです。子供のときから親が連れて行くという習慣がありますから、どの人も、おまえは神を信じるか、おれは神を信じているんだとはっきりいいますね。ただ、心のなかのことですから、どうしてもちょっとわからないところが多い。

 
【目次】
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