国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.4 近藤雅樹―イラストレーター時代

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イラストレーター時代
『ふるさとのあそび』松井譲二 著 厳潮社
─ そうすると、卒業してからしばらくのあいだは、フリーでイラストレーターをやっていたわけですか?
近藤 それがメインの仕事でした。
─ そのころのイラストは残っていますか?
近藤 ほとんど残っていないんですが・・・。ぼくが描いていたのは、図鑑のイラストなんかでした。標本画が多かったですね。医学書とか・・・。
 
※カバーデザイン:近藤雅樹〈『ふるさとのあそび』松井譲二 著 厳潮社 1986年〉より
─ 医学書ですか。
近藤 人体解剖図とか、臓器標本とか・・・。
イラスト
─ え? そんなのも描いていたんですか。
近藤 はい。それから、道具の使い方の解説をする実用書の仕事もね。盆栽の剪定(せんてい)方法だとか、ルアーの使い方とかですね、渓流釣りの。
─ じゃ、民俗学がずっと生きているんだ。
近藤 かも、しれないですね。そういう本の挿絵だと、構造がよくわかるように描かないといけない。解剖図とか臓器標本とかは、一般書じゃなくて専門の医学書でしたから、なおさらいい加減には描けない。だから、日本大学の解剖学教室へも一年間通いましたよ。
─ それは、解剖学を習いに?
近藤 執刀はしていませんよ(笑)。学生たちが解剖実習をするときに、ずっと立ち合わせてもらったんです。そのとき撮った写真のアルバムは、今もまだぼくの研究室にありますよ。お見せしてもいいけど(笑)。
─ 話題、かえようよ(笑)。その後、兵庫県立歴史博物館に勤めたんでしたよね。でも、イラストは描き続けていたそうですね。
近藤 民博にきてからもね。ホントは、自分の本のイラストぐらい自分で描きたいんだけど、とてもそんな余裕がなくて・・・。
 
※上・下ともに イラスト:近藤雅樹〈『ふるさとのあそび』松井譲二 著 厳潮社 1986年〉より
─ 最初は、イラストで生活できるくらい描いていた。
イラスト
近藤 はい。当時のことは、会社人類学というのか、企業社会をテーマにした中牧弘允さん(民博教授)の共同研究で報告したことがあります。「イラストレーターかつサラリーマン、ではなくて、フリーの人間のことを話してくれ」と言われて・・・。その報告をもとにした「二人のイラストレーター」という文章は、中牧さんが編集された『経営人類学ことはじめ』(中牧弘允・日置弘一郎編 東方出版 1997年)という本に収録されています。ひとりはぼく、もう一人は同級生で、今は有能なイラストレーターとして活躍している女性です。ぼくには学生時代からたびたび声をかけてくれる出版社がいくつかあったので、多いときは、当時のカネで月収30万円を超えていましたからね。
─ えっ? いつごろのことですか。
近藤 1970年代の後半です。
─ すごいなあ! そんなに実入りのいいものなんですか、イラストレーターって。そういえば「二人のイラストレーター」という文章の中にも、いろいろ書いてありますね、確定申告のこととかが・・・。
近藤 1980年に兵庫県教育委員会の職員になったときの初任給は、10万7千円でしたね。
─ それはまた、ずいぶん安いな(笑)。
近藤 あのとき感じた落差は今も忘れませんよ(笑)。イラストの仕事は、これくらいの量だったら一週間後の締切りで、というような具合に引き受けるんです。でも、正味は2晩もかければできるから、あとの5日間はほかのことに使える。だから、あっちこっちの民俗調査にでかけることができたんです。フリーのときのほうが、まとめて一週間とか、一ヶ月間とか、調査に行くことができました。

 
イラスト  イラスト
 
※イラスト:近藤雅樹 〈『民具の博物誌』岩井宏實著 河出書房新社 1990年〉より

 
【目次】
千里ニュータウンと地域の農具美大でおぼえた民具の図解神聖視される酒造の道具描いているうちに、絵よりモノのほうがおもしろくなったイラストレーター時代民具の最初の現地調査栴檀は双葉より芳し民具とはなにか?空き缶も民具になる母から娘へ伝えられる「おんな紋」モノがもつ魂博物館で展示企画にあたる「人魚のミイラ」――標本資料の真贋少女たちの霊的体験の研究「人はなぜおまじないが好き」海外の日本民具を調査近代日本のへんな発明 ─『ぐうたらテクノロジー』*(参考資料)さまざまな画法*