国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.4 近藤雅樹―海外の日本民具を調査

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海外の日本民具を調査
─ 最後に、今、一番力を入れてやっておられることを聞かせてください。
近藤 ひとつは、この博物館での仕事、民具のほうの仕事です。アチック・ミューゼアムのコレクションの中から、日本人が使ってきたいろんな種類の笠を60点ほど選びだして、それを解説する「学習ソフト」を試作しようとしているんです。コンピューターがご専門の山本泰則さん(民博助教授)に手伝ってもらっています。
─ さきほど、アチック・ミューゼアムについてのお話で、渋沢コレクションにふれておられましたが、そのデータベースもつくっておられるんですよね。
近藤 未登録資料がまだかなりあるんです、段ボール箱や林檎箱で200箱くらい。それらを、とにかく、ひっぱりだしまして・・・。
 
※『図説 大正昭和くらしの博物誌 ─
民族学の父・渋沢敬三とアチック・ミューゼアム』
近藤雅樹 編 河出書房新社 2001年

─ 科学研究費の『わが国の科学技術黎明期資料の体系化に関する調査研究』にも参加されていますよね。これは、1996年に民博で開催した特別展「シーボルト父子のみた日本」がきっかけになったわけですか。
近藤 ええ。その展覧会の準備で、熊倉功夫さん(民博名誉教授)と、1994年から何度もヨーロッパに調査にでかけるようになって以来ですね。この科研のプロジェクトでは、6班あるうちのひとつのチームリーダーです。
─ どんなことを?
近藤 江戸時代や明治時代のモノでも、日本にはもう見あたらないというものはたくさんあります。でも、ヨーロッパやアメリカの博物館に行けば、その時代の資料がずいぶんたくさん集められている。シーボルト父子がそれぞれに残したコレクションは、その中でももっとも大規模なものだったと言っていいでしょうね。だから、海外にある日本の資料を使って研究を進めたいというねらいがあります。それと、そうしたコレクションが、今まではかなりいい加減な紹介のされ方をしてきたんです。たとえば、シーボルト・コレクションのように見せかけて、じつは、シーボルト以外の人たちが集めたものも混ぜて持ってきた。そういう紹介の仕方では、コレクションの全体像がわからない。その全体像を明らかにしておかないといけない。
※写真:ライデン 植物園にて(2004年9月)
 
─ なるほど。シーボルトが集めたモノの全容をたしかめたいということですね。
近藤 かなり大変ですけどね。ほかの人たちのコレクションもありますし。
─ とくにおもしろかったことは、ありましたか?
近藤 日本で集めたものなのに、なぜ、シノワズリ(中国趣味)とジャポニズム(日本趣味)がごっちゃになっているのか、そのことがわかりかけてきました。どういうことかというと、出島を通じてヨーロッパの人たちが接していたのは、長崎の文化だったんです。長崎は日本の中でも中国文化の影響が非常に色濃い場所だったんですよね。
─ そう、出島にはオランダ人だけじゃなくて、中国人も出入りしていたわけでしょ。
近藤 長崎の町そのものが、中国文化とのミキシングといいますかね、そういう土地柄でしたから。シーボルトたちは、半分くらいは中国の文化を見ていたんだと、いえなくもないんです。
 
※写真:ライデン 下宿していた建物の前にて(2004年9月)

 
【目次】
千里ニュータウンと地域の農具美大でおぼえた民具の図解神聖視される酒造の道具描いているうちに、絵よりモノのほうがおもしろくなったイラストレーター時代民具の最初の現地調査栴檀は双葉より芳し民具とはなにか?空き缶も民具になる母から娘へ伝えられる「おんな紋」モノがもつ魂博物館で展示企画にあたる「人魚のミイラ」――標本資料の真贋少女たちの霊的体験の研究「人はなぜおまじないが好き」海外の日本民具を調査近代日本のへんな発明 ─『ぐうたらテクノロジー』*(参考資料)さまざまな画法*