国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.4 近藤雅樹―千里ニュータウンと地域の農具

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日本の民具研究をリードする近藤雅樹さんは元イラストレーター。武蔵野美術大学で、いちどは洋画家を目指しました。しかし、「結局、美なんてないんだ」と悟り、当時そこの教授だった民俗学者の宮本常一に師事して民具調査法を実地で学びました。実測図づくりの第一人者の近藤さんですが、西日本で母から娘に伝えられる和服の紋についての著作『おんな紋』や、不思議世界にあこがれる若者たちを評した『霊感少女論』などの著作もあります。その研究は物のたんなる用途をこえて、物の怪(け)にまでおよんでいます。
 
近藤雅樹近影
千里ニュータウンと地域の農具
─ 近藤さんが尽力されてできた本があります。『豊中市史』第7巻の「民俗」編(豊中市 2003年)です。豊中市内にこんなに多くの農具が残っていたのには、びっくりしました。
かなり以前から調査しておられたんですか?
近藤 ええ。民俗部門は小松和彦さん(国際日本文化研究センター教授)がリーダーでした。当時は大阪大学におられましたね。ぼくが小松さんから参加してほしいとたのまれたのは1991年のことです。
─ 貴重な基本的資料ですね。この前にでた『とよなかの農道具』(豊中市教育委員会 1996年)も、一連のお仕事ですよね。
近藤 そうです。教育委員会が30~40年くらい前から集めていた民俗資料がかなりあったので、まずそれらを中心に調べました。
 
─ こうした農具は、どこに保管されているんですか?
近藤 ほとんどは小中学校の空き教室ですね。
とよなかの農道具
─ こういう道具を使っている人は、もういないでしょう。
近藤 ええ、ほとんど。
─ もう、使い方も知らない人が多いんじゃないかな。豊中市内に農家はどれくらいあるんですか、ほとんど見かけませんけど。
近藤 うーん、すぐに数字は思い出せませんが、ほとんどは兼業農家です。蔬菜(そさい)とかの。
 
※『とよなかの農道具』豊中市教育委員会 1996年
─ 野菜類ね、大阪市内なんかに供給する・・・。
近藤 そうです。換金作物として一番手っ取り早いから。あとは造園用の花卉(かき)。果樹も少しありました。むかしは筍も栽培していましたけどね。今は近郊野菜と花卉栽培が中心で、お米を作っている農家はほとんどありません。いろんなことをやってきていますけど、稲作からの転換が早かった。

肥えたご
─ これは「肥えたご」と言っていたものでしょ、ずいぶん前のものですよね。これ、危ないんだ。ちゃんとかつがないと(笑)。
近藤 天秤棒の扱いはむずかしいですよね。
─ すごいな、このへんでも、やっぱりこういうものを使っていたんだ。こんなものが残っているってことが、今じゃもう奇跡のようですね。
近藤 千里ニュータウンの建設で開発が進んだときに、千里丘陵の竹やぶがバサっとやられちゃいましたよね。そのころからみんな転業しています。土地も売っちゃったし・・・。

 
※たんご・にないおけ(担い桶)
 実測図:井上早枝子〈『とよなかの農道具』豊中市教育委員会 1996年〉より
─ やっぱり、ニュータウンの建設は大きな転機だったんでしょうね。
近藤 ニュータウンだけじゃなくて、市域全体が大阪のベットタウンになりました。溜池も次々に埋め立てて、マンションや一戸建ての住宅もふえました。だから、新旧住民がすごく入り混じっています。
─ 農家の人たちは、サラリーマンだけじゃなく、マンションやアパートの経営者にもなった。
それはそうと、この実測図がすごい。これだけ精緻に実測をしているというのはすごい。
近藤 ぼくが民博で主宰している共同研究に、共同研究員として協力してもらっている近隣の博物館や資料館の人たちが大きな戦力になりました。この人たちとは、かなり以前から民具の調査研究をやってきた。小松ゼミの院生たちも、たのもしい戦力になりました。

 
【目次】
千里ニュータウンと地域の農具美大でおぼえた民具の図解神聖視される酒造の道具描いているうちに、絵よりモノのほうがおもしろくなったイラストレーター時代民具の最初の現地調査栴檀は双葉より芳し民具とはなにか?空き缶も民具になる母から娘へ伝えられる「おんな紋」モノがもつ魂博物館で展示企画にあたる「人魚のミイラ」――標本資料の真贋少女たちの霊的体験の研究「人はなぜおまじないが好き」海外の日本民具を調査近代日本のへんな発明 ─『ぐうたらテクノロジー』*(参考資料)さまざまな画法*