国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

民族学者の仕事場:Vol.1 佐藤浩司―四冊の本

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─ ところで、佐藤さんはじつに全4巻もの『シリーズ建築人類学(世界の住まいを読む)』(学芸出版社)を編んでおられます。これらはいつ出たんでしたか?
佐藤 1998年から1999年にかけてです。20世紀の記念に、と思っていました。
─ これは、50人もの人類学を中心とした研究者が、それぞれのフィールドでの住まいについて書いている。画期的な業績だと思うんです。世界の住まいを、ありとあらゆる角度から考えている。たんに住まいの役割を検証するということを超えた仕事だと思うんです。どういうきっかけで、こういう本を作ることになったんですか?
表紙 佐藤 建築学のなかに身をおきながら、こういう民族建築とか建築人類学的な問題に興味をもつきっかけになったのは、泉靖一さん(故人、元東大教授)の『住まいの原型』(鹿島出版会)という本です。あれはもともと雑誌『都市住宅』(鹿島出版会)に1968年から連載していた「文化人類学の眼」というシリーズをまとめたものです。その監修者が泉靖一だった。本になった時のタイトルが「住居の原型」となっていることからもわかると思いますけど、建築の人間がいわゆる未開社会の住居に求めていたのは建築の原型がもつリアリティです。建築と人間の関係が実感できる場として民族建築のフィールドに興味をもった。もちろん私自身も例外ではないんですが、ただ、原型を提示することに今はあまりリアリティがもてなくなりました。結局、住居の原型は安定的な社会と環境を前提に生まれてきたものです。世界中で伝統的な住居が変化を遂げているのに、原型でありつづけようとするとしたら、かえってリアリティを欠いたものにしか見えないでしょう。
 ともかく、そうした本に影響されて、建築の世界からも人類学者のように海外調査に向かう者があらわれはじめた。私が調査をはじめた前後から、海外の住居についての報告がすごく増えたんですね。ただ長期間の調査をした結果ではなくて、数日から数週間で調べてきた発見をつぎつぎと垂れ流していく。たしかに建物の構造についてはわかるようになったんですが、そのせいでかえって民族について紋切り型の理解がすすんだ。ある社会を記述するときに、人類学者が感じている迷いや恐れがなくなって・・・。
 それだったら地域調査のプロの人類学者に、その報告の一環として住まいのことを書いてもらったら、はるかに意味があるのではないかと思った。それで、とりあえず50地域を選んで、それぞれの地域の専門家にお願いしたのです。ところが、原稿の依頼の仕方が本書の性格をあらわす不思議なものだった。泉靖一の時代なら、ある民族の住居について書いてくれといえばそれで済んだと思うんです。でも、この本の企画をたてたのは1990年代の終わりです。「ある民族の住居」がそのまま現実味をもって語られる時代ではなかった。例えば、イヌイットはみなカナダ政府の提供したプレハブ住宅に住んでいるのが現実で、イグルー(氷の家)のことは小学校で長老から聞く昔話になっている。でも本書では、そうした民族の現在を伝えながら、伝統的な住まいのもつ意味について書いてほしいと依頼しました。すごくアンビバレントな、矛盾した執筆依頼だったかと思いますが、やっぱり伝統的なものを記録に残しておきたかったのです。それが可能な最後のチャンスだと思っていましたから。本の構成も、これまでどおり民族ごとに章立てしながら、なんとなくその社会をもう前提としないような視点を込めてリードや後書きを書いています。
 表紙の写真は全部私が撮ったものなんですけれど、ここでもできるだけアルカイックなものではなくて、その巻のテーマを示しながら、とても現代的な写真を選んでいます。例えば、第一巻は『住まいをつむぐ』ですが、インドネシアの調査中に見かけた都市のホームレスの写真です。ダンボールの屋根の下に10人の人間がいる。8人の子供たちと3人の母親、男は狩りにでも行っているのでしょうか。彼らが血縁関係にあるかどうかはわからないし、ダンボールの家は確実にすぐこわれる。でも、屋根の下の人間たちを家族という以外の言葉はみつからなかった。
表紙 ─ 4巻の構成についてちょっとお話しいただけますか?
佐藤 最初の巻のテーマは移動で、『住まいをつむぐ』というタイトルがついています。扱っているのは狩猟採集民や遊牧民など、調査そのものが困難な民族がたくさんいます。人類学者の協力がなかったら絶対にできない本。移動を住まいのシリーズの最初にもってきた理由は、現代都市の抱える問題の原点がそこにあると思っていたからです。
 2巻目が『住まいにつどう』ですね。これは、ひとつの空間に集まって住むことをテーマにしています。ボルネオのロングハウスや中国の客家、それに母系の拡大家族の家とか、私たちが家族イコール住宅と考える先入観を超えるような住まいをあつかっています。とてもおもしろいテーマだと思う。表紙の写真はボルネオのイバンのロングハウスなんだけど、最近は内装にビニールシートが貼られているので、屋内を見たらほとんど現代のアパートのよう。
─ しかし、写真が上手ですね。建築では写真も勉強するわけですか(笑)?
 
表紙 佐藤 写真が撮れないと、講演会もできないから(笑)。だから、調査も結構大変なんですよ。カメラや三脚をもった上で、調査のための道具ももって行きますからね。機材がたいへん。しかも、ひとつの場所じゃなくて、次々と建物を探しながら移動したり、屋根に登ったりもしないといけないから。
 で、その次の巻が『住まいはかたる』。住まいのイデオロギーとしての側面を主に集めています。観光化の問題とか、世代交代の問題とか、コスモロジーの問題とか、住まいは何を語っているかがテーマです。この表紙の写真はインドネシアのスラムです。都市近郊の川沿いの土地をいわゆるホームレスが違法占拠していたんですけど、マングンウィジャヤというインドネシアの著名な建築家がそこに住み込んで、住人たちと力をあわせて家を建てちゃった。違法占拠の場所にこういう集落をつくってしまったので、建築家は政府からとても疎まれることになった。しかも、建築の様式はインドネシアのどこかの民族のようにシンボリックで、でもじつはどこにもない無国籍なもの。そのうえ、外壁には世界各国の国旗を使っている。建築の様式というのはある社会をまとめるシンボルとして機能してきましたが、とっくにそんな状況ではなくなっている。これは未だにデザインの力を信じている建築家への批判でもあるし、このスラムで起きたこと自体はとても伝統的な建築の理想をしめしていると思う。
 最後に、第四巻は『住まいにいきる』です。最終巻は住まいにかかわる儀礼や、場所、身体といったテーマが多くなっています。表紙は、インドネシアのモルッカ諸島の東の果てにあるケイ島からさらに帆船でいく小さな島の伝統家屋。建設中の写真ですけど、私たちからみると全然伝統的ではなくて、トタンやセメントを使っている。それでも住人たちによれば「慣習家屋」。なぜかというと、必要な儀礼をちゃんとまもっているとか、伝統的な家族観を成り立たせるような空間をまもっているとか、私たちが「伝統と開発」とか「伝統の再生」とかいった議論であつかってきた「伝統」と、彼らの言う伝統はずいぶん意味が違っているんですね。そういうことを示そうとしたものです。4巻の最後には、関根康正さんに日本のことを書いてもらった。定住を前提にした持ち家政策が破綻して、都市のホームレスが登場してくることで、第1巻の頭につなげようという意図がありました。それで円環になるような世界を意識して・・・。
 
表紙 ─ 第4巻『住まいにいきる』では、リードに「住まいは、そこで生きられることによって、人々をのっぴきならない秩序の体系にまきこんでゆく」と書いてあって編集の意図が分かりやすい。
佐藤 もちろん、こちらが意図したように原稿があつまるわけではないので、基本線には沿っていても、それがすべてではありません。原稿依頼から現実に1巻目が本になるまで、ずいぶん時間がかかって苦労しましたが、何十年かしたら絶対価値があるという、そういう確信で作っていました。こんな本はもうたぶん二度とできないと思うんです。現実にそういう伝統的な民族の家がなくなっているということもあるし、今後は、民族を前提に、その伝統と変化の局面を語るという視点もリアリティをもちにくいのではないでしょうか。
─ 4巻のタイトルにある「住まいをつむぐ」「つどう」「かたる」「いきる」、というような住まいの力というのか、働きというのか、そういうものが全体に、希薄になってきているということはありませんか。日本だけでなくて。
佐藤 そうね。住まいによって社会が統合できている、住宅を作れば自分の人生が満足できると思える状況ではないということでしょうね。住まいがコスモロジーの反映であれば、そこに住んだり、それを作ることによって、人生の意味を実感することができていた。今は、そうではなくなってしまったんでしょう。しかし、たかが住宅がいつまでも人間の生きがいであっていいのかどうかも、私はちょっとわからないんです。社会の統合に役立つほど意味のある家があるのは一面で羨ましい気もするし、家が本当にどうでもよいものなら、こんな研究を続けていないわけですが・・・。
─ マイホームの研究会での話ですが、マイホームというものは、言葉は同じでも、その意味内容はこの二、三十年間ずいぶん変わってきた。その家が果たしていた役割というか、もっていた力というか、そういうものが希薄になってきた。そうだとすると、それがどこに向かっているんですか?
佐藤 何が希薄になったかというと、繰り返しになりますが、住宅の物理的な空間と人間関係が一致しなくなったことです。つまり、その空間の中で生きることによっては実存的な充足を得られなくなったことが家の力を弱めているわけです。一方には、現代社会のかかえる問題は家の力を強めていくことで解決すると考える人もいますが、私はそういう主張にリアリティを感じない。とりあえずマイホームの研究会でやっていたのは、だったらその弱まった状態でもいいから、その中でどういう人間関係を築くのが一番いいかを議論しようということだった。家族が家を作るんではなくて、やっぱり空間が家族的人間関係を作るんだ、国家が国民を作ったように・・・。
─ 近代建築の出発点は、住宅は住むための機械だというイデオロギーだったわけですね。それは実現されているわけですか?
佐藤 それに答えるのはむずかしい。20世紀のはじめと今とを比べたら、住宅が伝統をまもるよりも機能性や快適性をもとめるようになったことは確かでしょう。でも、それは建築家のイデオロギーとして実現されたんじゃなくて、産業化社会がすすんで、住宅生産がその構造にまきこまれていったことが大きい。住宅が機械になったかどうかよりも、住まいの主導権をどうすれば人間が取り戻していけるかと考えたほうがよいと思う。機械になった結果は、むしろ住まいのもっていた可能性を失わせただけなのかもしれない。ホームレスのビニールテントに惹きつけられてしまうのは、そこに人間性の復権を見てしまうからでしょう。
 

【目次】
イントロ住まいの調査手法住まいの原型フィリピン・ルソン島の民家と日本の古代住居調査作業屋根裏の空間水上生活者バジャウと狩猟採集民プナン何のための住居住居に向けられたエネルギーマイホームの共同研究会消費財としての住居巣としての住居空間と人間関係ホームレス住居と記憶四冊の本重みを失う空間