国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

広瀬浩二郎『テリヤキ通信』 ─ 「変わり者」はだれだ?

広瀬浩二郎『テリヤキ通信』

「変わり者」はだれだ?
 10月3・4日、コロンビア大学で「神道ワークショップ」なる研究会が開かれた。アメリカで神道…!?いったいどんな人が来るのだろう。英語圏で日本の、しかも神様の研究をしてるやつなんて「変わり者」に違いない。どんなユニークな人々に会えるかと楽しみにしつつ出かけてみた。
 じつは、この研究会で僕は「発表」を頼まれていた。それも、開催日の2週間ほど前に突然だ。つまりは、その程度のインフォーマルな(日本語でいうと「いいかげんな」?)研究会なのである。「日本語で15分くらいの話でいいので」と依頼され、「まあ、いい経験になりますから」と引き受けたものの、プリンストン到着後1ヶ月足らず、まだまだ落ち着いて研究する環境ではない。けっきょく、僕にとってはいささかマンネリのテーマでお茶を濁すことにした。
 当日、ニューヨークの地下鉄に乗ってコロンビア大学の会場に行ってみると、以外にたくさんの人が集まっているではないか!70人近くはいるだろうか。20人くらいがテーブルを囲んで「ひそひそ」やってるんだろうなという僕の予想は、残念ながら(?)外れた。さらには充実した発表の連続!僕でも名前を知ってるような有名な欧米の日本研究者の顔もちらほら…。
 「神道」といっても、神仏関係や国学思想、現代の脳死問題など、広く日本宗教全般に関わる発表が多かった。日本人による発表以外は質疑応答を含めて英語で行なわれたが、僕が日本語で発表したことからもわかるように、参加者の大半は日本語に精通している。流暢な日本語で話しかけられた僕が「あれ?日本の方ですか」と間違えてしまう場面もあった。
 考えてみれば、日本の古文書を読みこなして研究している人たちだから、「喋れる」のは当たり前なのである。それにしても、日本語ぺらぺらのアメリカ人に囲まれて朝ご飯を食べていると、なんだか変な気持ちになる。「ここはニューヨークだよな…。この人々はいったい…!?」
 現在、僕はプリンストン大学で日本史に関する授業のいくつかに出席(ただ聴いてるだけ?)しているが、そのレベルの高さにはいつも驚かされる。中世仏教史、近代政治史など、内容も専門的だ。教授たちは、最新の日本人の研究成果をきっちり踏まえている。良い意味でも悪い意味でも「重箱の隅をつつくような」日本人の細かい研究スタイルとは異なり、常にさまざまな面からの「比較」を意識し、切り口もダイナミックである。「神道ワークショップ」の時もそうだが、普段の授業でも鋭い質疑応答が交わされる。ぼけっと居眠りしてるのは僕くらいかもしれない。
 最初のころは「ヴィジティング・フェロー」(日本からのお客さん)である僕に気を遣ってか、教授がセミナーの時などよく「広瀬さん、これはどうですかねえ」などと質問してくれていた。最近では「too difficult, I do not know」を連発する僕の実力がばれたようで、質問されることも少なくなった。まあ、一安心…!?
 先日、中世の武士に関する講義で、久々に僕に質問がきた。というか、僕が居合道をやっていたことを知っている教授が模擬刀を持参してきて、僕に演武してくれと頼むのである。「英語の苦手な僕にとってはチャンスだ!ここで存在感を示さねば!」と立ち上がったまではよかったが…。
 刀を受け取り「The sound is important」などと下手な英語を並べて「素振り」を披露する。長嶋茂雄さん顔負けのいわゆる一つのゼスチャー入り解説だ。しかし、筋力の衰えのためか(そんな…!?)、「シューッ」と鳴ってくれるはずの刀は静かだ…。しかたないので口で「シューッ、シューッ」と音を出しながら素振りを続ける。ここで「笑い」をとるつもりはなかったんだけどなあ…。狭い教室で演武したため、最後には教卓を刀で思いっきりたたくという「おまけ」付きだった。こんな所で「sound」はいらないのになあ…。
 奇妙な「sound」入りの居合が、学生たちにどう受け止められたのかは定かでない。僕が所属しているのは「East Asian Studies」という学部なのだが、「日本」に関心を持つ学生は意外に多い(僕の居合が「日本」へのマイナスのイメージにつながらぬことを祈るばかりだ)。大学院生クラスで「日本」の研究をしてる者も複数いて、ほぼ例外なくぺらぺらの日本語を操る。少なくとも僕の長嶋流英語とは比べ物にならない。
 偉い教授にはあまりぶしつけな質問はできないが、大学院生にはよくこんなことを尋ねてみる。「なんで好き好んで日本の研究をしてるの?漢字を覚えて古文書を解読して…、たいへんでしょ?」彼らは、その質問にはしっかりした回答ができない。気づいたら「日本」に興味を持っていたとか、なんとなく昔から「日本」のことが気になっていたとか…。やはり「変わり者」なのだ。もっとも、我が民博にも愛すべき「変わり者」はたくさんいるし、そもそも「研究」の基本は「なんとなく」始めて徐々にのめりこんでいくものなのかもしれない。僕も「なんでラーメンが好きなの?」と聞かれたら、「なんとなく…、気づいたら…」と答えるしかない(それはちょっと問題が違いますね、失礼しました)。
 宗教を研究しながら日常的には宗教心の乏しい僕だが、理屈抜きで「日本」にのめりこんでいるアメリカの「変わり者」たちと話していると、運命や生まれ変わりの考えを信じたくもなる。まあ、愛国心旺盛な(?)僕としては、「日本」を研究してくれるアメリカの「変わり者」がもっと増えることを願っている。そして、僕たち日本人研究者は「変わり者」たちと積極的に交流し、彼らから大いに学ぶべきだとも思う。
 なんだか通り一遍の結論が出た所で、「神道ワークショップ」の続き。エントリーしたのが最後だったので、僕の発表は2日目のラスト。じっと座って待つのもいやなものだ。最初は日本語でできるからと軽く考えていた僕だが、「変わり者」たちの議論を拝聴していて、少しずつ緊張してきた。下手な発表はできないぞ…!ここで僕お得意の合理化(?)である。どうせ英語の発表は半分くらいしか理解できないし、聴いててもプレッシャーになるだけだ→よし、寝よう!と決め込んだわけでもないが、昼食後は自然と居眠りタイムとなった。
 睡眠学習で体力を温存したせいか(?)、我が発表はまあスムーズに終えることができた。授業での居合とは違って、「笑い」も狙った所でとれた。今の僕の実力だと「すばらしい発表でした」とほめられるより、「おもしろい話でした」と言われる方がうれしいので、その意味では「成功」だった。
 さて、こんな僕だが、1年後に「けっきょくプリンストンに何しに来たの?」と問われて「変な居合をしに…、おもしろい話をしに…」では困るので、帰国するまでには英語のプレゼンテーションの一つや二つ(!?)やってみたいものだ。日本から来た「変わり者」も頑張らねば!

【参考】「神道ワークショップ」における僕の「発表要旨」
「〈耳で見る〉、〈鼻で食う〉」 -出口王仁三郎と近代日本-
“Seeing by Your ears, Eating by your nose”Onisaburo Deguchi and Modern Japan

 大本教の教祖・出口王仁三郎(1871~1948年)は、近代日本の新宗教運動において大きな役割と影響力を持っている。彼は「耳で見て目で聞き鼻で物食うて、口で嗅がねば神はわからず」(『霊界物語』第1巻)という和歌を残しているが、彼が説こうとした「神」とはどのようなものだったのか。そして、その「神」は何故に異端の存在として近代国家により弾圧されたのか。今回は王仁三郎の掲げた人類愛善運動の中に「神」の意味を探っていきたい。
写真  大正末期に始まる人類愛善運動の具体的な実践として重視されるのが、芸術・武道・農業への取り組みである。それらは「スサノオの三女神の働き」にもなぞらえられた。王仁三郎自身、ユニークな芸術家として多くの絵画、短歌、茶碗などを残しているが、その天衣無縫な作風は「神」を表現したものといえよう。第二次大戦後、「芸術は宗教の母なり」をスローガンとする大本教の芸術活動から、「日本のアウトサイダー・アート」と評される知的障害者の絵画作品が生まれているのは、単なる偶然ではあるまい。(なお、王仁三郎の茶碗は、ニューヨークの「インターフェイス・センター」に“王仁三郎ギャラリー”として展示されている)。
写真:ニューヨークのインターフェイス・センターにある“王仁三郎ギャラリー”。といっても、展示されてるのはこれだけなんですが…。
 
写真  合気道の創始者・植芝盛平は、大正9(1920)年に綾部に移住し、王仁三郎の下で「神武」を探究した。日本古来の柔術をベースとしつつ植芝が創造した新しい徒手武道は、「戦わずして勝つ和の武道」、「神人合一」、「愛気」とも称される独自の霊学だった。昭和7(1932)年に発足する「大日本武道宣揚会」(王仁三郎総裁、植芝会長)は、武道の平和利用をめざした大本教の外郭団体だったが、昭和10(1935)年の「第二次大本事件」により、その活動は頓挫した。(なお、近代スポーツのパワーやスピードとはまったく異質な合気道の動きは、現代のアメリカでもある種の「いやし」として注目されている)。
写真:プリンストン大学の合気道道場。といっても、ダンスの練習場などと兼用ですが…。
 芸術や武道、あるいは自然農法の先駆とされる「大本理想者農園」の試みにしても、王仁三郎の意図したものは、「われよし」、「つよいものがち」という近代的な「常識」の打破だった。それは、やや乱暴な言い方をするならば、アマテラスに対するスサノオの挑戦だったともいえるだろう。王仁三郎の主著『霊界物語』(全81巻、83冊)は、従来の学問的な研究では荒唐無稽だとして軽視されてきたが、その中には神道と現代国家の関係を考えるヒントが隠されている。まずは「耳で見て…」の精神で『霊界物語』を解読していかねばなるまい。
[2002年11月]