国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

広瀬浩二郎『テリヤキ通信』 ─ 「ユニバーサル・ミュージアム」って何だろう(1)

広瀬浩二郎『テリヤキ通信』

「ユニバーサル・ミュージアム」って何だろう(1)
 12月16~18日、ワシントンDCを訪ねた。ワシントンといえばニュースなどでおなじみのアメリカの首都、プリンストンからは電車(アムトラック)で3時間弱である。気分的には東京~大阪間の移動といった感じだ。国内に3時間の時差があるアメリカにあっては、まあ同じ「東海岸」を散歩する小旅行というところだろうか。
 今回の僕の旅は、もちろん政治や外交への興味から思い立ったものではない(そんなことは日本の「偉い」方々にお任せしとけば、きっと、たぶん、もしかして…なんとかなるのであろう)。僕の関心はもっぱらワシントンの博物館群にある。各種の博物館、美術館、研究所など16もの施設を持つ「スミソニアン・インスティテューション」を中心に、たくさんのミュージアムが隣接しているのも、首都ワシントンの大きな特徴だ。僕の小旅行は、3日間で7つの美術館、博物館を見学するけっこうハードかつ充実した内容だった。
 「民博で働く者としては、アメリカの博物館事情に興味がある!」などと書くと、自分でも「ほんまかいな…?」と突っ込みたくなるが、たしかにこちらに来てからなぜだか急に「博物館好き」になったような気もしている。21世紀の「情報提供施設」としての博物館の可能性、民博の将来構想について云々するのはもう10年くらい(もっとかな…)待っていただくとして、今の僕の問題意識は博物館のバリアフリー化、だれでもが楽しめる「開かれた博物館=ユニバーサル・ミュージアム」について考える所にある。
 少し前置きが長くなるが、僕が「ユニバーサル・ミュージアム」にこだわる理由について書いておきたい。一口にバリアフリー、「だれでも」といっても、高齢者、子ども、障害者など考えるべきテーマはさまざまである。僕の場合、障害者、とくに視覚障害者に対するサービスに少なからぬ関心を有している。それはもちろん、僕自身が視覚障害を持つ当事者として博物館で働き、時には一来館者として博物館を訪れることがあるためでもある。
 それに加えて、僕は視覚障害者を「ユニバーサル・ミュージアム」の象徴にしたいと考えているし、そうなりうると信じている。従来の博物館、美術館はガラス板に囲まれた展示、視覚的に味わう展示が大半だった。その意味で視覚障害者(とくに全盲者)は、博物館とはもっとも縁遠い存在、「バリア」に阻まれた人々だったともいえる。そんな全盲者でも、いやそんな全盲者こそが楽しめる博物館とはどんなものなのだろうか。
 さらに僕が視覚障害者にこだわるのは、「触る」ということに大きな可能性を感じているためでもある。視覚障害者は見えない(見ない)分、当然よく触る(僕のような人間が、とりわけ女性を前にして「触る」ことを強調すると誤解されそうだが…)。いうまでもなく、貴重品の保存を考慮すれば、何にでも触れるとはいかないが、彫刻作品等では材質や込み入った細工など触ってみないとわからないことがたくさんある。僕がここで偉そうに言わなくても、最近あちこちで触れる展示、ハンズ・オンについての模索が始まっている。子どもたちが好奇心のままに何にでも触って新たな事実を「発見」するように、「触る」行為には種々の意味があるはずだ。視覚障害者は、いわば「触る」プロ。彼らから学ぶ点は多いと思う。
 などと理屈を並べても退屈なので、そろそろ具体的な報告に入っていこう。ついでながら、ワシントンで「おまえは日本で何してるの?」としばしば尋ねられた。「日本のナショナル・ミュージアムで働いてる。まあ、日本のスミソニアンみたいな所かな」と適当に答えてたら、けっこう尊敬された。無論「日本のスミソニアン」というのもまんざら嘘ではないが、この旅行中、我が民博ももう少し頑張らねばと感じる場面もあった。
ミニチュア模型の写真
 まず「触る」ことに関しては、予想以上にいろいろな物に触れた。レプリカによる展示も充実していた。12月中旬は観客の少ない時期だったので、各博物館をゆっくり観覧できたが、子供たちを中心に大勢が展示物に触れていたのは印象的だった(なお、入館はどこも無料である)。スミソニアンのインフォメーションに設置されている案内板には、点字も付いていた。各建物のミニチュアが立体的に配置された模型は、視覚障害者用というより、だれもが喜んで触れるものだろう。ユニバーサル・デザインの好例だ。
写真:スミソニアンの案内板。各建物のデザインがユニークで「触る」楽しさがある。
 スミソニアンには「アクセシビリティ・コーディネーター」といわれる障害者サービスを担当する職員(車椅子使用者)がいて、各博物館のエデュケーション・デパートメントに連絡して、さまざまなサービスをアレンジする。彼女いわく「一人で多数の博物館のサービスを管轄しているので、なかなか個人の要望に応じられないこともあるし、それぞれのミュージアムによって取り組みにばらつきがある」という実態らしい。スミソニアンで本格的に障害者サービスに取り組むようになったのは、最近(とくに1990年の「アメリカ障害者法」成立以後)のことで、まだまだ発展途上の段階のようだ。しかし、すくなくとも障害当事者がコーディネーターとして内部にいるのは頼もしい。
 障害者サービス部門では、肢体不自由者、聴覚障害者に対する配慮(スロープの敷設や字幕付きビデオの作製など)が先行しており、視覚障害者への対応はやや遅れている。視覚障害を持つ来館者自体が少ない、「触る」展示の工夫は難しいといった状況は、日本と基本的に同じなのだろう。展示以外のサービスでは、出版物の音訳版(カセットテープ)や案内パンフレットの点字版製作が、ボランティアの協力により進められている。
 さて、今回の旅行で僕にとっていちばん印象的だったのは、視覚障害者に対するガイド・サービスである。多くのアメリカの博物館では、一般の来館者を対象に随時ガイドによる「ツアー」が行なわれているが、事前申し込みしておくとスミソニアンでは視覚障害者に(個人でも)特別のガイドが付いてくれる。一部の博物館では「エデュケーター」と呼ばれる職員やアルバイトがガイドを担当することもあるが、スミソニアンのガイドは(予算の関係もあるらしいが)ボランティアだった。
 考えてみると、展示物に関してどんなに配慮がなされても、全盲者が単独で広い展示場を歩き回るのは不可能に近い。実際、僕が一人で今回の「博物館巡り」を成功させることができたのも、まさにガイドさんたちのおかげなのである。率直なところ、「アクセシビリティ」がどうだ、こうだと理論を並べ立てても、僕の感想では設備などハード面において日米にさほどの差があるとは思えなかった。ただソフト面(人的サポート)では、残念ながらまだまだアメリカに学ぶべきことは多いかもしれない。
 たとえば我が民博。「触る」展示ではスミソニアン以上のコレクションを保持しているわけだが、館内にいる僕でさえ展示場を単独で歩いて回ったことはいまだにない。普段はずうずうしい僕でも広大な展示場に一人でいると、なんとなく大海に浮かぶ小船のような気がして心細いものだ(その小船も、最近やや太りすぎて沈没しそうで余計に危ない…)。また万博公園内にはいくつかの美術館、博物館があるが、現状では全盲者が単身で「博物館巡り」をするのは困難だろう。
 今回の僕の旅行記では各博物館の展示について紹介することはやめて(そんなのは一般のガイドブックにお任せして)、独断と偏見によるガイドさん印象記を披露しよう。これが、ユニークなガイドさんばかりで…!ちなみに、ガイドさんたちは先述の「アクセシビリティ・コーディネーター」の指導の下、視覚障害者の誘導法や視覚情報の提供法(絵画などの言葉による説明の仕方)について研修を受けているらしいが、その辺はおおらかなアメリカのこと、さまざまなる珍プレーを見せてくれた。ガイドさんも博物館展示の一部だとすれば(なんていうと、案内してくれた方々に失礼かな)、健常者には味わえない「変わった展示」を僕だけ満喫できたような気がする。なんだか得したような、損したような…。
 
1.長嶋茂雄型ガイド(キーワードは「OK」)

 僕が最初に訪問したのは「アメリカ歴史博物館」。入り口で僕を待っていてくれたのは、おじさん、というかおじいさんに近い年齢の人。とにかく典型的なアメリカ人といった感じでやたらと明るい。僕の名前は「Kojiro」だと何度も言うのに、おじさんは「OK」を連発するだけで、最後まで僕の名前を「Ko…」としか発音できなかった。まあ、そんなことはたいした問題じゃないといわんばかりに、おじさんはどんどん「マイ・ミュージアム」の案内を始めた。
ボランティアのおじさんとツーショット
 このおじさん、普段は弁護士をしていて、月曜の午後だけスミソニアンでボランティアをやってるらしい。「だから、月曜の午後にやってきたおまえはラッキーだぞ」とおっしゃる。そう言われると、こちらもそうに違いないと思い「OK」と答えてしまう。彼はスミソニアンでボランティアをやることに誇りを持っているし、たまらなく「マイ・ミュージアム」を愛していることがいっしょに歩いていると伝わってくる。「マイ・ミュージアム」を熟知しているおじさん、昔の自転車の展示や歴代のアメリカ大統領に関する史料の前では、やけに力が入る。ところが、自分があまり興味のないコーナーでは「ここはおもしろくないから、次へ行こう。OK?」と言う。そうなのか…と、気の弱い(?)僕は「OK」と従わざるをえない。
写真:アメリカ歴史博物館にて。このおじさん、弁護士の仕事はちゃんとやってますよね…。
 おまけにこのガイドさん、歩くのがとても速い。いくら僕とは足の長さが異なるとはいえ、博物館はもう少しゆっくり歩くものでは…。でも、このおじさんの底抜けの明るさ、あくまでもマイペースの適当さは、なんとも憎めない。かつてV9時代の巨人の川上監督がミーティング後、各選手にレポートを課した。王さんや森さんが懸命に長文のレポートを書く中、あの長嶋茂雄さんは「オールOKです」と1行だけ記して提出したという。おじさんの「OK」の連発を聞きながら、ふと長嶋さんのエピソードを思い出した。
 けっきょく、他の6博物館では予定時間をオーバーしてガイドさんが丁寧に案内してくれたのに、ここだけは短時間で終了した。けれど、べつにいわゆる一つの「手抜き」といった感じはしないし、僕もおじさんと「マイ・ミュージアム」を共有することができた。それに、何よりもう一度「アメリカ歴史博物館」をじっくり見学したいとの新たな希望も芽生えた(ただし、月曜の午後以外に…)。まあ、博物館巡りのスタートとしては、そんなに悪くなかったかな。そういえば、僕もおじさんの名前を忘れてしまった。もちろん「オールOK」だよね。
 
2.都はるみ型ガイド(キーワードは「自問自答」)

 2日目の午前中、「ホロコースト記念博物館」を訪れた。ナチスによるユダヤ人などの大虐殺を資料に即して検証したこの博物館は、今回の旅行で僕がもっとも訪ねてみたい所だった。昨日の長嶋タイプのようなガイドが現れたらどうしようと少し心配していた僕の前に登場したのは、物静かな学校の先生風の女性。おばあさんといってもいいような年齢だ。だいたい、ワシントンの博物館では定年後の生きがいとしてボランティアをやってる人が多い。きちんと博物館の展示物について勉強しているのには驚かされる。
 さて、このガイドのおばさん、こちらが少々ホロコーストに関心があると見抜くや、急に雄弁になった。物静かだったのは最初の3分くらいだけだったろうか。しかも、演歌歌手のコンサートのように、だんだん熱くなっていく。初めは「What do you think?」などと僕に質問を浴びせてきたが、こちらが拙い英語でまごまごしていると、いつの間にか自問自答しだしている。「Why…?」「Because….」の連続だ。
 このおばさん、先述の長嶋さんとは違った意味の確固たる「マイ・ワールド」をお持ちのようだ。「ホロコースト」というテーマがテーマだけに、自分なりの思い入れもあるのだろう。長嶋さんとは対照的に、とにかく展示品の一つ一つをじっくりと解説する。文字資料が大半なので、音読するのも疲れるだろうに…。後から来た観覧者がどんどん僕たちを追い抜いていく。博物館って、たしかもう少し速く歩くものだったのでは…?
 なるほど、ガイドが親切なだけあって、ホロコーストの歴史について十分学習することはできた。しかし…。いよいよクライマックスの第二次大戦中の展示になったあたりで、そろそろ時間が足りなくなってきた。僕はおばさんの「講義」を半ば上の空で聴きつつ、いつ「時間が…」と切り出すかタイミングを必死に待つ。なにせ、この流れるような自問自答、途中で遮るのは至難の業だ。少ないチャンスを逃さず(彼女が息継ぎをする一瞬の沈黙を狙って)、僕は時間がないことを告げる。たぶん3回は言ったと思う。
 だが、このおばさん、英語が通じてるはずなのに、僕の「時間が…」の遠慮がちな声を勘違いして(?)、あたかもコンサートでアンコールを求められた時のように、ますます饒舌となる。最後のエネルギーを振り絞っての熱演だ。もう、どうにも止まらない。おかげで僕の昼食時間はなくなり、今度は僕が「空腹だなあ…、しかたないか…」と自問自答することとなった。
 まあ、このガイドさんの熱弁で僕は「ホロコースト記念博物館」を堪能できたのだから感謝している。おばさん、ほんとうにお疲れ様。次回は丸1日ゆっくりと時間を取っていくのでよろしく(それでも足りない…!?)。最後に誤解がないように一言。僕は「ふつうのおばさん」になれなかった都はるみの密かなファンなのであった。
 
3.岡本太郎型のガイド(キーワードは、ずばり「爆発だ!」)

 3日目の午後は「ハーシュホーン(Hirshhorn)・ミュージアム」の見学だ。ここは現代美術の展示が中心で、触れる彫刻作品もあるというので旅行スケジュールに加えた。僕の前に現れたガイドは…、やはりおばさん。自称「アーティスト」らしい。このおばさん、先ほどの都さんと違って最初から舌好調である。長嶋さん、都さんも「マイ・ワールド」をお持ちだったが、彼女はまさしく「マイ・ワールド」の決定版だ。
 このおばさんの案内は、まず彫刻作品の「タッチ・ツアー」の前に、彫刻に関する自作の「詩」を朗読することから始まった。「どうだ、すばらしいポエムでしょ」とおばさんが熱く語りかけてくるので、僕もしかたなく「Wonderful」と応じる。内心では「早く彫刻に触らせてくれよ」と思っているのに、彼女はこの「Wonderful」に気をよくしたのか「後でこの詩をコピーしてあなたの家に送ってあげるから、見学が終わったら住所を教えてね」ときた。こんな人が「ストーカー」になるのかも…などとふと思う。幸か不幸か、おばさん、詩を送ることを忘れてくれたらしく、住所を問われる心配はなかったが…。
 この調子でおばさんと僕の珍道中が始まった。昨日の都さんと同じように、各彫刻作品の前でいろいろと質問されるのだが、このおばさんは自答してくれない。ただでさえボキャブラリーの乏しい僕は、おばさんの迫力にも圧倒され、「Wonderful, great, interesting」という三つの形容詞を順番に発するのがやっとである。当然おばさん、僕のそんな答えに満足せず、ずんずん迫ってくる。妙に顔を近づけ意見を求める。おまけに彼女、昼飯で何を食べたのか知らないが、やたらと息が玉葱臭い。
 僕はおばさんの玉葱攻撃を避けるべく、少しずつ後ずさりする。しかし、僕が1歩下がると、おばさんは2歩前進してくるので、二人の距離はますます狭まっていく。僕とおばさんは彫刻作品を真ん中にして、奇妙な円運動を繰り返した。裸婦像に触れながら「こんななまめかしい女性が言い寄ってくるならいいけど…」と良からぬことを想像していると、そんな僕にはお構いなく延々とおばさんの「爆発!」は続く。「たしか、玉葱は英語でオニオンだったよな」と朦朧とした頭で考えているころ、ようやくツアーは終わった。
 おばさんは「次のグループ・ツアーを案内しないといけないので…。今日は忙しいわ」と颯爽と去っていった。なんだか、彫刻を触っているより、おばさんを観察してる方がおもしろいツアーだった。人間にはだれしも「怖いもの見たさ」という気持ちがある。僕もなんとなく、このおばさんに再会してみたい気がしている(でも、今度は昼食前の朝の時間帯に…)。やはり、おばさんに住所を教えておけばよかったかなあ…!?
 
4.豊臣秀吉型のガイド(キーワードは「鳴かせてみよう」)

 ここまで読んでこられた読者は、スミソニアンのガイド・ボランティアに疑問(不信)を持ったかもしれない。「いったい、コーディネーターはどんな教育をしてるんだ…?」たしかに、僕もそう感じないわけでもない。だが長嶋さん、都さん、岡本さん(念のため、みなさん仮名です)、それぞれが個性を発揮して自分にしかできないガイドをしているのは、じつに楽しいとも思う。しっかりしたマニュアルを作って、それに「準拠」したガイドをしてるだけでは何もおもしろくない。実際、僕は上記3人のガイドさんたちとの交流を自分なりにエンジョイすることができた。「もう行かないぞ」と腹を立てるような博物館は一つもなかった。
 しいていうなら、お三方のガイドは、やや「マイ・ワールド」に偏りすぎているような気もする。あくまでも博物館を観覧する主役は僕(視覚障害者)なのであり、そのニーズを最優先に考えるべきではなかろうか。などと偉そうなことを言うまでもなく、今回の旅行でも僕が理想とするガイドに出会うことができた。さすがは多様なるアメリカ!
 「自然史博物館」と「ナショナル・ギャラリー」で僕を案内してくれたおばさん(たまたま二人とも館の職員だった)はすばらしかった。とくに「ナショナル・ギャラリー」では全盲者が単独で訪れるのは初めてということで、「今後の取り組みの参考にさせてもらう」と積極的かつ実験的なガイドが提供された。帰宅後、「ナショナル・ギャラリー」の担当者から「あなたの訪問をきっかけに、視覚障害者へのサービスについてこれから前向きに実施していきたい」とのうれしいメールも頂戴した。
 さて、そのガイドさんたち、何がすばらしかったかというと…(よく聴いてくださいよ、長嶋さん、都さん、岡本さん)。第一に必要以上に喋らないこと。文字資料の展示などの場合はやむをえないが、「タッチ・ツアー」では自分の好きなペースで触りたい。上記3人のガイドでは、完全に僕が「連れられている」感じだったが、できれば主導権は見学者に与えてほしい。
著者近影
 まず最低限の説明をした後、視覚障害者に自由に触らせる。その反応を見て、興味がありそうなら、さらに解説を加える。質問をするのは基本的に見学者の側である。この来館者は何に関心があるのか、どれくらい見学時間があるのかなどは、ツアーの前に確認しておくべきだろう。「自然史」や「ナショナル・ギャラリー」では、「こんな展示がありますが、興味をお持ちですか」とか「ここに○○がありますが、触ってみますか」といった聞かれ方をよくされた。このように尋ねられたら、自分の趣味に応じて見たい物を選択できる。まあ、利用者のニーズを最優先とするのは当たり前のことながら、意外と難しいのだろう。
写真:ナショナル・ギャラリーにて。これが今回の僕のお気に入りの「マイ・スカルプチャー」。思う存分触れた。
 相手に応じて柔軟にガイド法を変える、ガイドと障害者が相談しながらオリジナルのツアーをいっしょに創造していく。そこに新鮮な「発見」も生まれる…。まさに「鳴かせてみようホトトギス」の精神だ。もっとも、みんながみんな対話型、クリエーション型のガイドさんで、それが当然になると、きっとそんなに感動しないだろう。やはり、さまざまな博物館があり、個々人の趣味があるように、ガイドも長嶋、都、岡本とごちゃごちゃいるのが笑えていいではないか。今回の僕の「博物館巡り」に彩を添えてくれた愛すべきガイドさんたちに感謝!
 大阪にある博物館に勤める人間として、最後は豊臣秀吉で締めくくってみた。ほんとうはジョージ・ワシントンの方がよかったかな…?
 ワシントンからプリンストンに向かう帰りの電車の中、満足感と疲労感に包まれながらいつものごとく居眠りである。ぽかんと口を開けたあほ面でぼんやり考えた。開かれたミュージアムを作るためには、人間自体が開かれていなくては…!僕も時には自問自答したり爆発したりしながらも、常に「オールOKだ」と言える「開かれた人間」をめざさなくては…!
[2003年1月]