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広瀬浩二郎『テリヤキ通信』 ─ 修行を楽しむ…、積善の家に余計あり

広瀬浩二郎『テリヤキ通信』

修行を楽しむ…、積善の家に余計あり
 アメリカ人を一言で特徴付ける単語は何だろう。最近、ふとそんなことを考えてみた。どうも長いようで短い、短いようでほんとうに短いアメリカ滞在も終わりに近づき、そろそろ「まとめ」(終わりよければ…)モードに入りつつあるのかもしれない。無論、多様なアメリカを一語で要約するのは無理な話だが、あえて僕が冒頭の質問に答えるなら、「enjoy」という言葉を挙げたい。
 質より量で勝負するアメリカのレストランに行って僕がいつも「なるほど!」と思うのは、ウエイター、ウエイトレスが料理を運んできてテーブルに置く時、かならず「enjoy」と声をかけることだ。日本語に直訳すれば「食べ物を楽しむ」となるから、少し不自然な気もする。実際、出された料理をなんとか平らげようと最後は水で流し込むこともあるので、「enjoy」できない場合も多いのだが…。ただし近頃では我が胃袋もアメリカ生活に順応してきたらしく、初めはあまりの量に目を白黒させながら食べていたアメリカン・フードも「enjoy」できるようになってきた。
 若いウエイトレスのお姉様に「enjoy」などとにこやかに言われると、やはり気分はいい。「お姉様もいっしょにエンジョイしましょう!?」と心の中で呟きつつ、僕はアメリカン・フードと今日も格闘している(困ったおやじだ!)。レストランでの「enjoy」はほんの一例だが、とにかくアメリカで暮らしていると「enjoy」という語を耳にする機会は多い。僕の印象では、アメリカ人は人生を「楽しむ」術を熟知している。余暇の過ごし方、学生たちのパーティー、障害者の娯楽、あるいはさまざまなボランティア活動…。仕事、遊び、どれを取っても日本人より柔軟に、そしてスマートに楽しんでいるような気がする。僕が感じるアメリカの居心地の良さは、この「enjoy」精神に由来しているのだろう。
 さて、お決まりの日米比較文化論をだらだらと続けるつもりはないが、いかなる状況にあっても人生をおもしろおかしく過ごす、その場その場で楽しみを見つけるというアメリカ的発想には、僕も大いに学びたい。胃袋だけでなく「enjoy」精神も、どんどん拡張させたいものだ。
 というわけで、前置きが長くなったが、僕流に「enjoy food, enjoy life, enjoy oneself」などに示される「enjoy」精神を定義するなら、他人とは違った生き方を味わう、自分にしかできないユニークな見方、考え方をするといった感じになるだろうか(ちょっと強引かな?)。今回は、そんな僕の「enjoy」精神を鍛えるすばらしい経験をしたので、我が修行体験記をお届けしたい。

ニューヨーク市内クイーンズ地区にある「天理教ミッション・ニューヨーク・センター」  6月13日から7月14日まで、僕はロサンゼルスにある「天理教アメリカ伝道庁」に滞在し、あれこれ調査してきた。メーンの目的は、伝道庁で開催された「修養会」(spiritual development course)という4週間のプログラムに参加し、アメリカ天理教の現状を把握することだった。宗教、とくに信仰の世界は理論や文献だけではわからない。やはり自分自身で実践してみなくては…、というのが僕の持論だ。4週間の修養会は天理教の教義を深く理解するという意味もあったし、また天理教を離れて僕にとって多少なりと修養(spiritual development)を経験するチャンスともなった。
 まず最初に、アメリカに来てなぜ天理教なのかということだが、これは日系新宗教の異文化布教の状況を分析するのが、僕のアメリカでの研究テーマの一つとなっているからである。ニューヨークには種々の日系宗教が進出しているが、常に世界から新しい文物が入ってくるこの都市で生き残っていくのは難しい。そんな中、天理教は70年代から着実な布教活動を続け、現在ニューヨーク市内に3ヶ所の教会を持っている(写真1)。
↑写真1:ニューヨーク市内クイーンズ地区にある「天理教ミッション・ニューヨーク・センター」
 
ロサンゼルス市内にある「天理教アメリカ伝道庁」  さらに時代を遡れば、天理教のアメリカ宣教は明治期の日系移民の歴史とともにスタートしている。1927年、初めての教会がサンフランシスコに設けられ、34年にはロサンゼルスにアメリカ伝道庁が建設された。第二次大戦中には天理教のアメリカでの活動も中断するが、戦後、東海岸域にも信者が進出し、今では全米に50以上の教会が設置されている(写真2)。
 などという堅苦しい話は、近々執筆する(かもしれない)僕の論文に譲るとして、今回は修養会の具体的な内容を紹介したい。修養会はアメリカ伝道庁を会場として、基本的に2月と6月の年2回行なわれている。目的は天理教の国際化と後継者育成。僕の出席した今回のコースは第65回目で、参加者は20名。ほとんどは教会の後継ぎ、または自分の家の宗教について深く学びたい信者で、20代の若者が多かった。日本語クラス4人、英語クラス16人(もちろん僕は日本語クラスです!)という数字が示すように、大半は日系二世、三世、あるいは両親のいずれかが日本人の家庭で育った子供で、英語を母国語とする者だった。どうやらアメリカ天理教は、一世主体の「種蒔き」の時期を終え、二世、三世の英語による本格的な異文化布教の道を模索しつつあるようだ。
 1ヶ月のコース参加費は200ドル。3食付いて寝る場所もあって、この値段とは格安だ。やや不謹慎な話だが、プリンストンにいてアメリカン・フードを「enjoy」してたら、月200ドルではとても生活できない。調査もできて、生活費も節約できるとは一石二鳥だ!僕の中にはこんな下心もあった。実際に僕以外にも、食事目当てに参加した(としか思えない)者もいたのだが…。
↑写真2:ロサンゼルス市内にある「天理教アメリカ伝道庁」
 
 さて、6月13日の夜、ロスの伝道庁に到着すると、「お疲れでしょう。修養会が始まるとお酒は飲めないので…」と、まずは宴会だ。「やはり来てよかった」とばかりに、僕は200ドル分を一気に食べる勢いでがつがつ(お酒はちびちび…)。「修養会も、この調子なら『enjoy』できそうだぞ」と、僕はほろ酔い気分で1ヶ月の住まいとなる居室に向かった。 部屋に入ると、我が「enjoy」精神は早くも怪しくなってきた。修養会の男性参加者は10名だが、その全員で一部屋をシェアするのだ。各自にはベッド(というより寝台かな)が与えられるのみで、他にはみごとに何もない。おまけに、両手を伸ばせばすぐに隣のベッドだ。ユースホステル、いやいや例えは悪いが軍隊といった雰囲気である。「たいへんな所に来てしまったかも…」。僕は見知らぬおやじの鼾の轟音を子守唄にしつつ、「明日はだれよりも早く寝てやるぞ」と、狭い寝台に潜り込んだ。

伝道庁の神殿。300人は収容できそうなホールだ。  天理教の朝は早い。日程表では毎朝5時半から掃除となっているので、僕は5時1分に目覚ましをセットしていたが(なんとなく○○時1分起床というのが「分刻みのスケジュール」のような気がして好きなのだ)、そこは集団生活の辛さ(おもしろさ?)。4時半ごろからごそごそ行動を開始するやつがいる。けっきょく1ヶ月の滞在中、僕は自分のアラームを聞くことなく、5時前にはいつも起こされていた。
 寝ぼけたまま神殿での参拝を行い、続いて各班に分かれての掃除。掃除をさせられるのではなく、「させていただく」精神で取り組むのが大切だ。神殿といっても広いし、キッチン、庭、周辺の道路など、掃除させていただく場所は多い。せめてもの救いは、ロスの天気が快適なこと。日中はかなり気温が上がるものの、朝夕は涼しい。また1ヶ月の滞在中はほとんど晴天続きで、小雨が一度ぱらついただけだった(写真3)。
 掃除を終えて部屋で再び横になる者もいるが、僕はシャワーを浴びる(そうしないと、なかなか目が覚めないのだ)。「水も滴る…」などとのんびりしてると、休む間なく7時からは「朝づとめ」。天理教の大きな特徴は毎朝夕に繰り返される「つとめ」にある。簡単にいうならお祈りの時間だが(「悪しきをはろうて、助けたまえ天理王命」のフレーズを耳にした経験をお持ちの方は多いだろう)、朝には教祖・中山みきの作詞作曲、振り付けによる歌舞が、夜には教祖が書き残した「おふでさき」の拝読がなされる。とくに毎朝の歌舞は、太鼓や琴、三味線の伴奏とともに賑やかに行なわれる。太鼓の音が腹に響くなあと思ったら7時半。かなり空腹である。
 食事は朝7時半、昼12時10分、夜5時と規則正しい。内容は予想以上にバラエティに富むものだった。教会関係者が和食をベースに、あれこれ工夫したメニューを毎食用意してくれた。200ドルでこの充実ぶりはすごいと感激しつつ食べたが(集団生活によるストレスを解消するには食べるのがいちばん!)、後半は「このまま食べてたら太るに違いない」と、食べる量を自分でセーブしたほどだ。痩せて帰ってくるはずだったのになあ…。
↑写真3:伝道庁の神殿。300人は収容できそうなホールだ。
 
 9時からは講義。90分授業が午前中に二つ、天理教教典と教祖伝についてみっちり勉強する。担当者はアメリカ各地の教会長や日本の天理教本部から派遣された講師である。日本語クラスは4人。アットホームな雰囲気はいいのだが、居眠りはできない(後半の2週間は堂々と眠っていたが…)。
 午後は「つとめ」の歌舞について、歌詞を勉強したり、楽器の練習をする授業が二クラス。歌詞は中山みき存命中(江戸末から明治初期)の奈良地方の方言などをも交えた和歌体で、やや難解である。意味訳は可能だが、歌に合わせた形で英訳するのは無理なので、アメリカ人もローマ字書きされた歌詞を見ながら懸命に歌う。神様の言葉だから意味がわからなくてもありがたいのだという説もあるが、ちんぷんかんぷんの歌を歌うのは、けっこうしんどいのではなかろうか。
 ただ意外だったのは、歌詞の意味を理解しているかどうかは別として、英語クラスの人間が「つとめ」を「enjoy」していることだった。日本語の不思議な歌詞、西洋のダンスとはまったく異質なスローテンポの踊り、そして仕事着として身に着けるはっぴなどなどは、ある種のエキゾチシズムというか、脱日常的な魅力になっているようだ。
 楽器の稽古は、ちょうど午後のもっとも眠い時間帯ということで、みんな眠気を振り払うべく熱心に取り組んでいた。これまた日本の伝統的楽器は、アメリカ人には珍しい物ばかりだ。伴奏のリズムそのものは単純だが、音を出すまでが一苦労。女鳴り物が3種、男鳴り物が6種あるが、僕も6種類の楽器を一通り経験した。小学生時代エレクトーンを習っていて、3年経っても「ちょうちょ」が弾けなかったという嘘みたいなほんとうの「伝説」を持つ僕にとって、他の人の楽器の音色を聞きながら、それに合わせて演奏するのは至難の業だった。歌、踊り、伴奏のハーモニーを重んじる「つとめ」は、言葉を超えた天理教の教義実践なのかもしれない。
 横笛、小鼓などの音が出ず「これなら我が腹太鼓の方がいい音するぞ」と悪戦苦闘していると、ようやく夜ご飯。これで長い1日も終わりかと思うと、さすがは修行!唯一の安息場所たる寝台には、なかなか潜り込めない。夕食後は夕づとめ、踊りの練習、夕礼(連絡会)と続き、すべての予定が終了するのは8時半。
 10時が消灯とされているが、洗濯や雑用、おしゃべりしていると、すぐに11時近くになってしまう。夜型人間で毎日8時間(つまりは人生の3分の1)は寝ていたいと常々考えている僕にとって、早寝早起きは文字どおり修行だった。「鼾なら、止むまで待とう、あのおやじ」、いやいや、やはり「鼾なら、殺してしまえ…」だよなと、自分のことは棚に上げて、いつの間にか短い眠りに入るのだった。

ロス近郊のヴェニス・ビーチにて。寛いでいるというか、なぜか酔っ払ってるようです…。  このようにハードな修行の日々が、月曜から土曜まで続く。日曜は朝づとめ後、身の回りの掃除などをし、それから夕づとめまでは自由時間となる。昼寝(寝だめ)する者もいれば、ロスの市内観光に出かける者もいる。僕もリトル東京にラーメンを食べに行ったり、バークレー時代の友人に会ったりしたが、修行中ということで、そうそう馬鹿騒ぎするわけにもいかない。でも、そのわりには…(写真4)。
 その他、とくに後半の2週間にはいろいろな研修が組み込まれる。伝道庁周辺の天理教教会の見学、観光地として名高いサンタモニカ・ビーチでの布教の実践(パンフレット配り)、さまざまな講話…。いちばん傑作だったのは、修養会生の信仰経験(faith experience)の発表会。20人なので1人4分とスピーチ時間は決まっていたのに、いきなりトップ・バッターが15分の大演説(そう、鼾をかく「あのおやじ」です!)。こうなると、自分はなぜ修養会に来たのか、両親の話、天理教への思いなどをみんな語り出し、時間は大幅にオーバー。おかげで、スピーチの後に予定されていた掃除がキャンセルされたのはよかったのだが…。
 各人各様のスピーチを楽しみながらも、信仰を持たない僕の立場は少し複雑だった。何を話したら共感してもらえるのか…。まさか、得意の(?)Tシャツ・パフォーマンスもできないし…。最終的に、前の晩にいつもの鼾を聞きつつ原稿を書き、修養会を通じて腹の立たない、腹のできた人間になることをめざしたいと、なんとも意味不明のトークをしたのだった。
↑写真4:ロス近郊のヴェニス・ビーチにて。寛いでいるというか、なぜか酔っ払ってるようです…。
 
 さて、次に僕個人の心の動き、「enjoy」精神の推移について報告してみたい。まさしく「How to make a good hara」というわけのわからないスピーチをしたころが一つの分岐点で、修養会の前半と後半では、それなりの心の変化があったように思う。まず前半の2週間。率直に言って、僕以外の周囲の皆が天理教信仰者という状況は(もちろん最初から予測していたことではあるが)、けっこうタフなものだった。
 親神様の存在を大前提とし、教祖は今でも存命のまま働き続けていると「信じる」天理教信仰者。彼らにとっては当たり前のことでも、僕にはすっきり理解できない場合が多い。無論、研究という立場で天理教に関わるなら、客観的に「観察」すればいいのだが、朝から晩までどっぷり信仰の世界に身を置くと「僕は部外者ですから…」と悠長に構えてばかりもおれない。実践と調査の狭間に立ち、僕はフィールドワークの難しさを改めて痛感した。
 また前述のようなタイトなスケジュール、慢性的な睡眠不足は、何かにつけ心の余裕を奪っていく。前半の2週間はそんなわけで、なんだかんだと腹を立てることが多かった。たとえば午前中の授業。日本史を長く勉強してきた僕からすると、教祖伝に関する講義にはどうしても不十分さを感じてしまうし、クラスメートのおじさんのでかい声(でかい態度?)に辟易したり…。「ご飯は少なめに」と頼んだのに大盛りのライスとおかずをわたされ、やけ食いしたり…。まあ、我ながら些細なことでいらいらしてたような気がする(いや、ご飯の量は些細なことではないかな!?)。

 一般に日本の新宗教は、貧、病、争からの救済をスローガンとして拡大してきたが、とくに天理教は教祖の時代から「おさずけ」という治病祈祷を通じて信者を獲得している。いまだに病気をきっかけとする入信者は多く、アメリカでは英語による布教の難しさもあって、「おさずけ」がアメリカ人を引き付ける有力な宣教手段となっている。実際、現代医学で不治とされた患者が「藁をもつかむ」気持ちで天理教を訪れ、「おさずけ」を受けて治癒した(親神の御守護をいただいた)例も少なくない。
 もちろん、あくまでも病気治しは結果で、そこに到るまでの信仰、心の入れ替え(「悪しきをはらう」)が重要なのだが、全盲の僕が修養会に参加していると、「この人は目の御守護をいただくために、目が見えるようになるために来ているのだ」と考える人が多い。親切心から「おさずけ」を取り次いでくださる人もおり、僕もありがたくそれを受けたが、あまりにたびたび「目が見えるようになるといいですね」「きっと御守護がありますよ」などと言われると、全盲歴20余年の僕としてはいささか不本意だ。
 なるほど、全盲だと日常生活において不便なことは多いし、僕も漠然と「まあ死ぬまでには目が見えるようになればいいな」とは思っている。しかし、その一方で(この「テリヤキ通信」を読んでくださればわかるように)、「目の見えない人生も悪くないな」と本心から感じている。前置きに書いたように、他人と違った人生、ユニークな発想を与えてくれる面では、視覚障害というマイノリティな立場はじつに貴重だ。それに何より「ああ、目が見えるようになればいいなあ…」と日々願いつつ暮らすより、「目が見えない」状況をいかに「enjoy」するかを考える方がおもしろいではないか。

 一例を挙げよう。修養会では、よく掃除をする(じゃなくて、させていただく!)時間があったが、じつはこの掃除、全盲の僕には少し難しい(単に面倒くさくて嫌いなだけという説もあるが…)。割り当てられた場所を単独で拭くなり掃くなりするのは容易だが、他人(とくに視覚障害者と接した経験のない晴眼者)と協力して、周りの状況を見ながら動くのは苦手だ。
 修養会前半の実習で、みんなで広いダイニング・ホールの床を磨く時間があった。「拭き掃除ならできるかな」と思っていた僕に、ある修養会生は「薬品は危険だし、あなたは部屋で休んでたらいいよ」と言う。そう言われて、僕の中では一瞬のうちにいろいろな考えが浮かんできた。「掃除は嫌いだし、休めるなら楽でいいかも」「僕は研究目的で来てるんだから、すべてのプログラムを同じようにこなすことはないや」。一方、「修養会の一参加者であるからには、自分のできる形で掃除もしなくては…」「やはり視覚障害者は何もできない存在と見なされているなあ…」とも思った。
 よくいわれることだが、「はいりょ」(配慮)と「はいじょ」(排除)は似てるようでまったく異なる。僕は日常的にたくさんの人々の「配慮」を受けて生活しているが、時には無理解、偏見のため「排除」されることもある。天理教の掃除の例は表面的には「配慮」に見えるが、実態は異質な者を「排除」する発想に根ざしている(無論、「部屋で休んでたら」と言った人に悪気がないことはよく承知しているし、この無意識に潜む「排除」こそが厄介なのだ)。
 けっきょく、僕は迷った末に修養会のコーディネーターの所に行き、「何かできることありませんか?みんなと同じことができなくても、僕なりの形で協力したいのですが…」と相談した。以来、コーディネーターは僕に窓拭きなどの仕事を割り当ててくれ、めでたく(?)掃除に参加することとなった(コーディネーターの「配慮」に感謝!)。
 振り返ってみると、もしあのまま部屋で掃除をせずに休んでいたら「視覚障害者は過小評価されている」と腹を立てて、今ごろ「テリヤキ」で天理教の悪口を並べていただろう。たしかに、健常者なら何も考えることなく、みんなといっしょに掃除できるのだから楽である。僕の場合は「どうしよう…」と、あれこれ「余計なこと」を思案せねばならない。しかし、この「余計なこと」、発想を転換してとらえるなら、一般人にはできないユニークな経験ではないか。
 やや大げさな言い方をするなら、僕が部屋で休んでいたら何事もなかったように(僕の思いは忘れられ)、掃除は終了しただろうが、僕が「何かできること…」とささやかな自己主張をしたことで、掃除の進め方に多少の変化が生じた。僕の存在により修養会のあり方が変わったのだ。働く僕の背中(顔ではありません!)を見て、何かを感じた人もいるかもしれない(いないかな…)。やはり障害者は、健常者中心の社会、余計者を排除する窮屈な世界を改変することができるのだ(だから、大げさだってば!)。

修了式後、神殿前にて。修養を積んだ男に見えますか!?  話が横道に逸れてしまったが、このように障害をプラスに受け止め「enjoy」しようと考えている僕にとって、因縁、はらうべき悪しきものとして障害を忌避する天理教の(というより、日本の伝統的)救済観は、あまり居心地の良いものではなかった。もちろん、30数年生きてきた中で種々の心得違いはしているだろうし、聖人君子とは程遠い生き方であることも自覚している。ただ、障害の原因として前世の行いまで持ち出されると、どうも素直に納得することはできない。そんなわけで、前半の2週間は教祖の生き様、「陽気暮らし」の理想に「本物」の迫力を認めつつも、天理教の教義に疑問、不満を持っていた。
 まあ、個人的な障害観、宗教観については別の機会にお話するとして、とりあえずあれこれあった修養会。後半2週間では心の余裕を取り戻し、何事も経験、こんな変わった体験はそうそう「させていただける」ものじゃないぞと開き直り、すべてを「enjoy」できた。世の中、いろんな人がいるからおもしろいんだよな…。修行も、また楽し…。あの鼾の轟音も「もう聞けないのか」と思うと、最終日にはなんだかさびしかった。1ヶ月も寝起きをともにしていると、いやがうえにも運命共同体意識は強まり、修養会修了式後、みんな来年の「アメリカ伝道庁70周年記念式典」での再会を約して、各地に旅立ったのだった(写真5)。
↑写真5:修了式後、神殿前にて。修養を積んだ男に見えますか!?
 
 「積善の家に余慶あり」とは古い言い伝えだが、僕はあえて「積善の家に余計あり」と言い換えてみたい。何が善で何が悪なのかはよくわからないが、とりあえず一生懸命まじめに生きていれば「余計なこと」が与えられる(きっとそれは、修養を積んだ者が得る「神様の御守護」だ!?)。余計なこと、つまり邪魔だったり不必要な者、あるいは余り物…。まさにマジョリティに対するマイノリティ、健常者に対する障害者は余計者だろう。
 また、キリスト教的な世界観が支配的なアメリカにあって、日本の新宗教、天理教の存在を知る者はほとんどなく、余計物として軽視されている。マイナーな「日本」にこだわりつつも、世界宗教をめざしてアメリカで活動する天理教布教師たち。僕が彼らに研究を離れて、ある種のシンパシーを感じるのは、余計者の連帯感だろうか。
 そして、その余計者の発想、ユニークな「enjoy」精神こそが、世界を動かし変えていく力を秘めている(またまた強引なこじつけ…!)。考えてみれば、僕の在外研究にとって今回の修養会は余計な経験だったかもしれないし、僕の研究そのものが世間様から見ると余計なものだろう。客観的に言って、僕の書く論文が世界を動かし変えていく力を持つとは思えないが、まあ余計者の志だけは高くありたい。
 というわけで、今回は楽しい修行体験に事寄せて、だいぶ余計な話をしてしまった。残りわずかとなったアメリカ生活でさらに「enjoy」精神を鍛え、余計者として秋から民博に復帰したいものだ。
[2003年8月]