国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

広瀬浩二郎『テリヤキ通信』 ─ おわりに

広瀬浩二郎『テリヤキ通信』

おわりに
写真1  大阪に帰ってきて早1ヶ月。荷物整理と挨拶回りも一段落し、いつもの生活リズムに復帰しつつある。お好み焼きやラーメン、「ほんまもん」の寿司を食べながら、「やはり日本はいいなあ」と思うし、最近は「秋の味」も大いに楽しんでいる(といっても、なぜか「enjoy」してるのはカナダ産のマツタケだったりするが…)。反面、こってり、たっぷり、うっとり(?)したプリンストンのテリヤキを懐かしく思い出すこともある。アメリカでの1年、あれは僕にとって何だったのだろうか?在外研究は終わったが、新たなる研究のスタート地点に立ったような気がする。それは「不惑」に向かっての旅立ちなのかもしれない(などとさらっと書いてみたが、40歳になんかなりたくないなあ…)。
 振り返ってみると、アメリカではあちこち動き回ったし、新しい出会いもあった。渡米する前には予定もしていなかったアメリカ天理教の調査をじっくり行なったし、合気道も日本にいる時より熱心に稽古することができた。行き当たりばったりといえばそれまでだが、人生、筋書きのないドラマって、だからおもしろいとつくづく感じる(写真1)。
写真1:帰国直前、プリンストン近郊の「スカルプチャー・ガーデン」にて。この1年、いろんな物に触ったなあ…。
 今回の僕の在外研究の目的は、「バリア・フリー」についての人類学的研究。このテーマは1年前も今も変わっていないし、今後もこの「バリア・フリー」という便利な単語を我が研究を要約するキーワードとして使っていきたい。ただ、この1年で「バリア・フリー」という言葉の示す内容は、僕の中で大きく変化した。在外研究の願書を書いていた去年の今ごろは、「バリア・フリー」といえば障害者と健常者の関係であり、僕の主要な関心事はアメリカの博物館における障害者対応(とくに視覚障害者への配慮)、障害者の職業、ライフスタイルなどだった。

 アメリカでは当初の計画どおり、趣味と実益を兼ねて各地の博物館、美術館を訪ね、「バリア・フリー」調査を「enjoy」した。また視覚障害者たちと直接交流する中で、ボランティア精神に支えられたアメリカ社会の暮らしやすさを知った(たしかに僕の周囲の人々も親切だったなあ…)。一方、日本よりはるかに高い重度障害者の失業率が示すように、能力主義社会の過酷な生存競争という厳しい現実もある。アメリカで得たこういった知識、経験は、視覚障害者として僕が今後どのように生きていくかについて、多角的に考えるヒントを与えてくれた。
写真2
 日本の前近代社会にあっては、琵琶法師に代表される盲目の職人たちが、文化の創造者・伝播者として活躍していた(詳しくは拙著『障害者の宗教民俗学』を参照してください…、と最後まで「さりげない」宣伝でした)。『平家物語』は、障害者たちが躍動し、その生き様が独自の価値を持って受け取られていた時代を象徴する文化遺産である(なんていう話は、今回アメリカでもしたっけ…)。単純な話をするならば、そんな障害者たちが「元気」を失っているのが現代の時代状況なのだ。なんだかんだ言っても、アメリカの障害者は、日本より「元気」だったよなとふと思う(写真2)。
写真2:各地を旅した中世の琵琶法師(『七十一番職人歌合』より)。音痴で怠け者の僕だが、じつは密かに「現代の琵琶法師」をめざしている(無理でしょうか…)。
 
 このような障害者問題を突き抜けて、あるいは障害者としての体験をベースとして、プリンストンでの1年で僕は「バリア・フリー」をより広い視野から考えるようになった。日系宗教(天理教)の異文化布教、照り焼きとテリヤキの違い、合気道から「aikido」への進化…。日本文化(少数派)がアメリカ社会(多数派)に受容されていくためには、さまざまな「バリア」があった。

 そして、松井選手が野球とベースボールの相違に戸惑いながらもレギュラーを獲得していったように、各分野で「照り焼き型」「寿司型」「味噌汁型」と種々なる工夫が試みられ、「バリア」は取り除かれていった(そう、もう自分でも忘れかけてた我がこじつけ理論です)。蛇足ながら、勝新の座頭市がビートたけし演じる「zatoichi」となり国際的評価を得た事実も、照り焼き概念を使って分析してみたいものだ(まあ、座頭市論は、僕が「心眼」を開いてからの楽しみにしておきましょうか!)。

 司馬遼太郎は、多様な「文化」(特殊、不合理性)が集まってアメリカの「文明」(普遍、合理性)が成立していると喝破したが(『アメリカ素描』1986年)、司馬説を僕風に敷衍するならば、「バリア」を乗り越えた人、物が生き残っていくのがアメリカ社会であり、そんなアメリカは「バリア・フリー」の壮大な実験場なのだということになろうか。多様な「文化」を飲み込んで新たな「文明」を創造し続けるアメリカ。こんなエキサイティングな国で1年間ゆっくり生活できたことに感謝しつつ、不惑の研究、「バリア・フリー」に向けての僕なりの一歩を踏み出すことにしよう。某ファストフード店で照り焼きバーガーをほおばりながら…。
[2003年10月]