国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 10.埋もれゆく大河の文化址

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

10.埋もれゆく大河の文化址
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 民博の栗田先生が日本からベトナムにいらっしゃいました。その機会に、ハノイから30キロのバクニン省にある「ドゥオンサー古窯紫址博物館」に行って来ました。
 バクニンの町からすぐなのに、町の人はドゥオンサーなんて村を知らなかったりします。車が1台通るのがやっとの池の土手をトコトコ伝って、こんなところにほんとに博物館があるの?と誰でも思うようなところに密かにこの博物館は建っています。博物館の鍵は村の人が管理していて、頼めば開けてくれます。
 この博物館ができた発端は、レンガ工場の採土とそれに伴う骨董の盗掘によって、1999年に近くの川の氾濫源から、かつて陶器を生産していた窯あとが発見されたことに始まります。考古学のことは私はわかりませんが、歴史時代のこともよくわかっていないベトナムにおいては、これは大発見なようです。盗掘によって、だいぶ破壊されていたようですが、村が緊急発掘を行いました。しかし、ただこれが大発見なだけでしたら博物館はできなかったでしょう。この博物館は、発掘を指導した日本人考古学者西村昌也氏や、村の人たちの熱意と努力のタマモノのハコモノです。
 最大の問題は、窯のあとが発掘された場所は雨期になると水没してしまうのです。雨期が開けた頃には遺構や遺物も消えているでしょう。紅河デルタを流れる幾条もの河はこうしてかつての文化を消し去っては、そこにまた新しい文化が築かれてきたんでしょうね。
 
写真  とにかく、そこで西村氏が中心となって「東南アジア埋蔵文化財保護基金」を設立し、基金を募集しました。遺跡や遺物を高台に移動させ博物館を設立するためです。結局、2年半以上かけて有志からの基金だけで総工費162万円の博物館ができました。チンケな博物館というなかれ!期待と要望だけで集まった基金で建てた村の誇りなのです。かたや、何億円もかけてチンキなハコモノを世界中に作りまくったどっかの機関など、ツメの垢でも煎じて飲むべしです。
 博物館の前には、基金を出した方々の名を刻んだ石碑が建てられています。よく見ると、民博の田村克己先生、民博友の会の名前も刻まれています。写真から見つけられるでしょうか。
 栗田先生と訪ねたときは、西村さんの公私ともどものパートナー、範子さんに案内してもらいました。博物館の鍵を管理している家族の方も含め、撮った記念写真です。
 
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 基金およびドゥオンサー古窯紫址博物館に興味がおありの方は、以下にご連絡下さい。断っておきますが、ぼくは「東南アジア埋蔵文化財保護基金」の差し金ではありません。ドゥオンサー古窯紫址博物館を訪ねたいと思っても、何度もそこに行ったことがある誰かに聞かない限り、なかなかたどり着ないようなところに博物館はあるのです。

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東南アジア埋蔵文化財保護基金代表
  西村昌也
  5 Lo Duc, Ha Noi, Vietnam
  Tel&Fax +84-4-9716347
  nixi@netnam.vn
 
[2002年8月]
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