国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 18.爺やの明るい村

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

18.爺やの明るい村
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 しばらく村から離れてみて帰ってみると、若者たちが17や18でたくさん結婚し、もう子どもも生まれていました。「あれとあれの子がこいつかよ!」ということがたくさんあります。子どもは兄弟姉妹でも、従兄弟でも、祖父母でも手の空いている誰かが面倒を見ます。だから、赤ん坊もいろんな人に会うのは慣れていると思うのですが、でも、うかつに近づくと泣かれたりするので取り扱い注意です。
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 赤ん坊が泣いて、若いかあちゃんが「マサオ爺やは怖くないよ!」とか言ってあやしているのを聞いたとき、「ぼくが爺や!」と最初は思いました。でも考えて見ればその通り、若い親がぼくをおじさんと呼ぶ以上、その子どもはぼくを「爺や」と呼ぶべきなのです。31歳にして爺やと呼ばれるようになるとは予想していませんでした。
 でも、村に子どもが多いのは嬉しいことです。村は明るいし、老人たちも若々しくて元気です。だから子どもが死ぬのは、そりゃあ悲しいものであり、村中が悲しみます。一方、医療の発達で幼児死亡率が下がると、人口増加で急激で、土地不足という問題も起こっています。
 
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 黒タイは伝統的には、婚姻すると貴族は12年、平民は8年の間、妻の両親の家に寄宿して花婿奉仕をしました。社会主義化以降、期間が縮まり数年間になりました。もう盆地は水田開拓し尽くされているし、いっぽう、現金収入の必要はますます増しています。そこで徴兵に行くことを花婿奉仕にかえることもあります。それから最近多いのは出稼ぎです。ディエンビエンなどに道路工事や建築工事に出かけて行き、現金を妻の実家に送金し自分たちの独立資金を貯めるのです。
 
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 たくさんの笑顔を見せている子どもたちが大きくなる頃には、村に戻っても食べられないから、出稼ぎに行ったまま戻ってこないという人もでて来ているかもしれません。そうなると淋しいなと思います。
 
[2002年10月]
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