国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 19.変わる床下の世界

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

19.変わる床下の世界
写真
 黒タイの人々は、山裾がちょうど盆地と接する付近に村を築きます。伝統的には、高床の木造家屋をたてます。もちろん「伝統的」とはいっても、その家屋の形態と構造は不変ではなく、歴史的に変化してきました。ことにここ数十年の変化は大きいといえます。たとえば、柱の下に礎石を置くのが一般化して、床下がより広く、より高くなり、瓦屋根も導入されました。それに伴い、囲炉裏の位置が変わるなど家屋構造そのものにも変化が及びました。この高床の家屋には、さらなる発展型もあります。そのことについて書いてみましょう。
 
写真
 高床の家屋はとうぜん住むところです。はしごを上がって床上にのぼれば、台所から寝所、祭壇もそろっていて、そこの家族だけではなく、その家族の亡くなった祖先を含めた衣食住がそこで営まれていることがわかります。
 梁の上には、ザルやカゴなど竹や籐の道具類、紡績の道具類、未使用の寝具など、衣や食に関わるものを置く場所となっています。一方、床下には薪や木材が積まれ、農具が保管され、水牛、ブタ、ニワトリ、アヒルなどが飼育されています。つまり、床の下と梁の上は、その家の家族の衣食住を支える品々の倉庫となっているのです。
 
写真 写真
 
 現金収入が増え、家族の人たちがバイクや脱穀機など機械類を手に入れると、ふつう床下におきます。でもそうすると今度は盗難などにあわないよう、床下の一部か全体を板で囲い、錠をかける必要もでてきます。同時に、しばしば家畜たちには床下から出ていってもらい、水牛小屋、豚小屋など別棟を建てる必要も出てきます。
写真
 こうして床下から家畜が出ていき、床下全体が板で囲まれてしまうと、もうあんまりむやみに床板の隙間からものや食べ物を捨てたりできなくなります。家畜はもう残飯を勝手に処理してくれないし、床下にゴミがたまり不衛生で汚くなるからです。
 このように床下が外から完全に独立した倉庫となると、床下をきれいすることに注意が払われるようになります。するとついに床下がもっと高くなり、きれいになった床下に人間自身がおりていきます。こうして高床式の家屋が、2階建ての家屋へと変化を遂げます。
 土間の家を築くキンにとって、高床式の家屋は原始的に見えます。しかし、高床家屋が一般的な黒タイの人々にとって、地面に接したところは湿度が高くて虫も多い不衛生なところであり、土間の家は貧しさの象徴です。ことに床下となると、薪や家畜など人間様の役に立つべきもののための世界です。そういう床下で黒タイの人々が主体的に衣食住するようになるには、価値観の変化なしにはありえません。しばしばそこには、地べたに抵抗のないキンの価値観の影響や、商売のための便が絡んでいるようです。
 ある街道沿いで2階建ての家屋が数軒、軒を連ねているのを見ました。そこで商売しているのはほとんど黒タイの人でした。一方で自分たちの田圃を耕しつつ、商売も行っています。1階部分は商店であったり、食堂であったりです。2階部分が彼らの生活空間なのでしょう。これも黒タイの2階建て家屋の一形態でした。そのうちのある1軒の屋根を見ると、伝統的な黒タイの屋根飾りが付いていました。
 
写真 写真
 
 この屋根飾り、一度は姿を消した非常に珍しいものでした。かつては、その家族の経済状況や願いをこめてデザインした屋根飾りを各家がつけました。しかし1960年代以降、その習慣が廃れました。でも最近、地方の文化施設や役所などで、黒タイ家屋を模した建物にはしばしばつけるようになっています。いわば、黒タイの文化的なシンボルの一つとして見なされているのです。

 黒タイが営む商店の屋根の上についた屋根飾りを見て、自分たちの文化について誇りを持つ心理的、経済的余裕が出てきたからこういうものも復活したのかな、と思いました。
 
[2002年10月]
ハノイの異邦人インデックス
101112131415161718|19|2021222324
25262728293031323334