国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 27.電気のある生活

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

27.電気のある生活
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 ぼくの黒タイの村には、去年はじめて電気が来ました。でも、電気が国から供給される以前から、家電製品は村にありました。村人が最初に買う家電製品はテレビです。電気が供給されなくても、発電機があれば電気はおこせるからです。日本円にして2千円くらいの小さい水力発電機を、お金に余裕のある人は町で買ってきます。細い水路の堰を利用し、そこに側面に穴をあけたドラム缶を設置します。そのなかに発電機をいれて、回転させるのです。あとは、そこから家まで針金で電気を引っ張ってくれば、家に小さい電球がともり、テレビを見るくらいの電気は供給できます。むかしから水車などで水の動力を利用してきた黒タイの村人には、うってつけのものです。国道6号線を行けば、モクチャウとイエンチャウの間のサップ河に、びっしりとこの水力発電機の堰ができているのを見ることができます。
 
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 この水力発電機、便利なようですが、実はけっこう手がかかります。水路の水量は一定とは限りませんから、うまく回転するようにいつも水量と機械を調節しなくてはならないからです。うまく発電機がまわらないと、テレビを見るには不十分です。以前、村の子どもたちが、テレビでサッカーの試合を見るのを楽しみにしていたのに、うまく電気が起きず、子どもたちが懐中電灯をもって水路に入り、堰を固めたり、たまった泥を除いたり、電線を検査したり、八方手を尽くしましたが、ようやくテレビが見られるようになった頃には中継が終わっていたということもありました。いっぽう、発電機が回転しすぎても、漏電によって屋根の茅や柱に引火し、火事を起こす危険があります。この発電機は、不安定な代物なのです。

 ですから、村の人たちは国から電気が供給されるのをずっと楽しみにしていました。夜も字を読んだりできるし、いつでもスイッチさえおせばテレビがつくようになるからです。
 
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 テレビは村の人たちの大きな娯楽なので、電気がなかったころ、テレビがある家はちょっとした社交場でもありました。しかし電気が来るようになると、テレビを買う人も増え、テレビを見るためにひとの家に集まったり、ヒマなときにひとの家を訪ねたりすることが少なくなりました。人と人のたずねあいを通して、いろいろなおはなしが伝えられたものですが、娯楽はしだいにテレビに取って代わられ、妖怪変化や夜ばいも減ったようです。もちろん村に電気が来たことを否定するわけではありません。でも、電気やテレビを契機に、情報化といわれる世界の趨勢にものすごい勢いで田舎が取り込まれ、そこにすむ人たちの生活も価値観も変化していくことを思うとき、日本の都市生活の異常さを振り返りながら、人間が幸福を追求する道とは、こうも単線的にしかありえないのかな、と暗い気もするのです。
 
[2003年1月]
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