国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』 ─ 30.経済発展の光と翳

樫永真佐夫『ハノイの異邦人』

30.経済発展の光と翳
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 ホン河に注ぐ大支流ダー河は、黒タイや白タイなど内陸盆地の人々とデルタのキンを経済的、政治的につなぐ大動脈でした。ダー河沿いの船着き場には黒白タイ、中国人、キンが行き交う市場が形成されていました。ダー河沿いの「タ・なんとか」という地名の場所は、みなそういう土地です。フランス植民地期でも、ダー河は、交通と交易において大きな役割を果たしていたのです。
 しかし、ベトナム民主共和国成立以降、ダー河沿いも大きく変わりました。水運より陸上輸送が活発になってきたこともありますが、最大の変化要因はホアビンダムの完成です。冷戦期の1980年頃、ソ連による大土木事業で、このダー河がせき止められ、巨大な水力発電所がホアビンにできました。そのときにやってきたソ連人技師や労働者で町ができました。いっぽう白タイやムオンがすむ盆地がいくつも湖底に沈みました。正確な数は知りませんが、数万を越える人が移住を余儀なくされたことでしょう。
 しかし、このダムによってハノイを含むベトナム北部の諸都市に、はじめて安定した電力が供給されるようになったのです。その電力はベトナムだけでは消費しきれないから、タイに売ろうかと言っていたほどでした。しかし、結局その後の都市生活の発展に大きく寄与することになりました。さらに、近年の発展は、新たな水力発電所を求めています。もちろん、いつでもお金を出すのはベトナムではないわけですから、大きな経済効果が期待できるインフラ整備は、政府にとっていいことずくめです。そこで、ばたばたとダー河第2ダムの建設も決定してしまいました。今度のダムで、さらに黒白タイを中心とする人々が10万規模で移住することになるようです。
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 現在、ベトナム西北地方に行くと、国道のいたるところで道路拡張工事が行われています。ダム建設の大型車が行き来できるようにです。崖を削り、村をもそぎ取って、工事はすごい勢いで進んでいるのです。
 内陸部の国道を走っていると、最近一つ気になることがあります。道路脇に捨てられたゴミがだんだん増えていっているのです。また、町からさほど遠くない峠などに、ゴミが大量に投棄されているのも見ることがあります。ベトナムではゴミは増えるいっぽうなのに、処理機能はありません。どこかに投棄するほかないのです。地方都市では、しばしばトラックで峠まで運んでいき、斜面から放るのでしょう。そういう場所には、悪臭がたち、ハエがたかり、ガスを吐いていることすらあります。
 
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 ベトナムの地方でも、年々すごい勢いで商品が増え、消費文化が浸透していっています。インフラが整備されて流通事情がよくなることがさらにそれを加速します。北部ベトナムのインフラの整備は、冷戦期までは中国やソ連が、ドイモイ以降は日本などがしてきました。人と物の大量移動や消費社会化に伴って、実はすでに環境問題はかなり深刻なはずです。しかし、この国のいいところは、それでどうすればいいか、なんてあんまり考える必要がないことです。困ってから日本などに頼んでもおそくありません。きっとたくさんお金も技術もくれるからです。
 
[2003年2月]
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