国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

野林厚志『ブリテン島紳士録』

野林厚志『ブリテン島紳士録』

クリスマス家族の風景
 10月末のハロウィーンが終わると、町はクリスマスの装いをはじめる。11月も半ばになると、ショッピングセンターには大きなクリスマスツリーが飾られ、店のディスプレイもクリスマス仕様となる。何かに追い詰められているかのように、人々はプレゼントを買っている。とても気が早い感じがするが、時間をかけてゆっくりと準備して、クリスマスの到来を待ち望むのである。英国流はとにかく待つことも楽しみの一つなのだ。
 イギリス人にとってクリスマスはとっても大切な行事であることはまちがいない。クリスマスはどうするのとよく聞かれる。私のように一年間しかいない日本人がクリスマスをどう過ごすのかはこちらの人たちにとっても少しは興味のあることのようだ。そんな時、私は決まってこう答える。
 「文部省のプログラムで来ているから、オックスフォードから出ちゃあいけないんですよ。おかげさまで、この冬はオックスフォードのクリスマスを堪能できるというわけなんです」「素的ね(こういうときに使うのは、大体lovelyである)」
こんどは、こちらからの質問である。英国のクリスマスはどんな感じですか。10人に聞けば10人とも楽しそうに、嬉しそうに答えてくれる。色々な話をきいていくうちに、こちらのクリスマスはどうやら日本人のお正月に相当するものではないかという気がしてきた。少なくとも、私が幼少の頃から経験してきた日本のお正月の風景によく似ている。そこで、何回かにわけて、英国のクリスマスの色々な風景を紹介してみよう。

クリスマスのごちそう
クリスマスのごちそうである七面鳥やがちょうの予約 クリスマスプディング
 
花屋はこの時期にツリー用のかざりを売ります。
ツリー用のかざり ツリー用のかざり
 
ツリーはネットに入れられて売られています。
ツリー 町のクリスマスデコレーション風景

 今は核家族が中心の英国も、クリスマスの時は大家族に変身する。ただ、面白いのが帰省とは限っていないところである。日本だと、盆暮れの決まり言葉に「帰省ラッシュ」というものがある。地方の親もとや「本家」に親戚があつまるというやつだ。でも、英国の場合、親もとや本家というよりは、家族を世話する甲斐性のある人間の家に集まることが少なくないという。家に親戚が入りきらないときは、近くのB&Bに泊まって、その家に通うらしい。もちろん、B&Bの経営者もクリスマスを楽しむので、こういうときは食事もでない。とにかくベッドを貸すだけなのである。親 戚が集まれるようにとB&B近くの家に引っ越す家庭もあるのだから、たいしたものである。
 さて、家族の話をするときに、こちらの人がしばしば使う言葉が「パートナー」である。例えばこんな感じである。

 「うちの場合は両親と、夫の一番上の兄夫婦と、下の妹とそのパートナーとその子供たちが来るよ」
 筆者は最初、「パートナー」とは夫や妻の言い換えだとばかり思っていた。英語で論文を書くときによく言われた、「あんまり同じ単語を繰り返し使うな」ということが頭をよぎる。妻とか夫とか言う言葉を繰り返し使うのを避けているのかなと最初は思ったのである。話し言葉でさえもそんなことを気にするのかなと思っていたが、よくよく聞いてみると「パートナー」とは文字通り「パートナー」であり、妻や夫ではないのである。「パートナー」はあくまで「パートナー」であり。決して、ハズバンドやワイフとは表現されない。
 今年に発表されたセンサス(国勢調査)の結果では、英国における2000年の離婚率は前年よりも減少したということである。現象傾向は数年続いている。ま、夫婦はもともと他人であるし、大人同士の問題であるから、当事者の責任において関係を考えればよい。ただ、子供にとっては一緒に住んでいた父親と母親とが急に別々に住むといったら最初はとまどうことになるだろう。「子はかすがい」といった言葉もあるように、子供のために夫婦でいるというケースも考えられないことではない。とは言うものの、これは、「夫婦と子供が一緒にいることが正常なことである」と考えた場合ではなかろうか。言い換えれば、社会の中における家族の形態の大半が「夫婦&子供」という構成をとらなければ、こんな考え方は生まれてこない。
 英国の家族の風景を知るための一つの目安となる資料に、‘Living in Britain’というものがある。これは国家統計局(National Statistic)が行なう、家庭調査の結果をまとめたものであり、約20,000人についての家族関係のありかたや経済状態が調べられている。英国の家族の構成について、報告書は次のような結果をだしている。

(1)一人ぐらしの世帯:32%
(2)夫婦だけの世帯:30%
(3)夫婦と独立していない子供の世帯:18%
(4)同棲している男女とその独立していない子供の世帯:3%
(5)同棲している男女だけの世帯:5%
(6)父親もしくは母親のどちらか一方と独立していない子供の世帯:7%
(7)父親もしくは母親と扶養してもらっていない子供:2%
(8)その他:3%

 独立していない子供というのは、16歳以下もしくは、16歳から19歳までの学校に通っている者とされている。要は、親に育ててもらっている子供をもつ世帯は(3)(4)(6)であり、こうした世帯の約36%の世帯では、結婚という制度によって夫婦となっている親がいないことになる。経時的に目立つのは、母親と子供だけの世帯の増加である。1971年では子供がいる世帯の中で、母親と子供だけの世帯は7%であったのが2000年には23%となっている。その中でもいわゆる「シングルマザー」の割合が最も高い。2000年では、母親と子供だけの世帯中、「シングルマザー」が11%を占めている。これらの数字が多いか少ないかは、例え日本の同じようなデータがあったとしても単純には比較できないであろう。社会的な背景を丹念に検討しなければならないのは言うまでもない。ただ、英国の家族の日常的な風景が大きく変化しているということは事実であろう。婚姻関係の硬直した制度化は、社会の変化に対応できているのだろうかという疑問も生じないわけではない。国家はなぜ婚姻を制度化しようとするのだろうか。社会の秩序を守るためなのか。時間のかかる宿題になりそうである。
 いわゆる「内縁」の夫婦とその子供も、家族の一員としてクリスマスを一緒に楽しむのは素的な風景だと思う。対等の男と女であり、子供にとって同じくらい大好きなダディとマミーは、おじいちゃんやおばあちゃんにとって自慢の子供であり、そのパートナーなのだろう。
 日本で、息子や娘が「パートナー」とその子供を連れて帰省したら、親や親戚はどんな顔をして迎えるのだろうか。結婚式で「両家」親族のご挨拶をしている国の人間には、この新しい英国流の家族像を理解するのには時間がかかる。私自身も結婚という形の男女関係を決して否定的にはとらえていない(否定していたら結婚していない)。ただ、結婚そのものにつきまとう個人の権利の侵害(と私は思っている)については疑問が多々ある。夫婦同姓はもとより、「同居義務」「協力義務」「扶助義務」が今もって民法でうたわれなければならないほど、日本の大人はひ弱な存在であり、男女の関係は惰弱なのであろうかと思うのである。

[2001年12月]