国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

研究スタッフ便り ニューヨーク! ニューヨッ! ニゥユィェ!

研究スタッフ便り『ニューヨーク! ニューヨッ! ニゥユィェ!』

太田心平

第04回 ニューヨーカーは冷たい?――都市の孤独を語りたおす

 第02回第03回では、見ず知らずの人とでも気軽に声をかけあうニューヨーカーの気質を御紹介した。ここまで読んだ限り、あたかもニューヨークでは友だちをすぐ作れそうである。しかし、それがそうともいえない。反対に、「ニューヨークは友だちを作りにくいところ」という評価すらある。この評は、北東アジア系の人びとのみならず、その他の国や地域から来た人びとからも、そして米国に生まれ育った人たちからすらも、よく聞くことだ。

友だちが出来ない街

 ニューヨークに引っ越してきて間もないころのことだった。同じく最近やってきたばかりだというポーランド人の友だちが出来た。彼は、生まれ育ったポーランドのウッジという街を出てから、20年ほどもたっているそうだ。長く暮らしていたのは、ドイツのベルリンや、カナダのトロントで、その他にも欧米諸国のあちらこちらを渡り歩いてきたという。そんな彼に、「ニューヨークの暮らしは、他と比べてどう?」と聞いてみた。すると、真っ先に返ってきた答えがこれである。「こんなに冷たい街は初めてだ。友だちを作るのがこれほど難しい街は、きっと他にないよ」

 またしばらくしてのことだった。カリフォルニア出身の米国人と話をしていたら、「お休みのときは何をしているの?」と聞かれた。当時の私は、この街に慣れてきたものの、まだ調査研究に手探りなところがあり、とにかく余裕がなかった。オフの時間を自分が楽しめていないことは分かっていたけれども、まだ仕方がないとあきらめていた。だから、ちょっと浮かない表情ながら、正直に答えた。「お仕事している。ひとりで勉強したり、ノートを作ったり」 すると彼は、私の手の甲をガバッとつかんできた。「きみ、大丈夫!? 友だちが出来なくて、さみしいよね?」 私は唖然とし、笑い転げた。「違うの? ニューヨークでは、友だち作るのが、とても大変なんだよ。だから、心配になったんだ」

 私の場合、もともとニューヨークには韓国人の友人が何人もいた(第01回参照)。彼/彼女らと一緒にいないときでも、街を歩き回っていれば、誰かが話かけてくれて、話好きな性格が功を奏してか、束の間のおしゃべり相手だって見つかってしまう(第02回第03回参照)。日々の話し相手に困ることは、それほどない。だから、こうした「ニューヨークは淋しい街」という発想が、当初あまり理解できなかった。

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おひとり様どうしの相席は会話を呼ぶ。
だが、この二人も友だちにはならなかった。
(2012年7月撮影)

 しかし、やがて私にも、このことが少しずつ分かってきた。街角での束の間のおしゃべりが、友人関係にまで深化するかというと、それはかなり難しいと思う。カフェなどでことばを交わした相手と意気投合し、別れ際に「連絡を取りあおうね」と約束しても、実際に連絡をする相手はほとんどいない。また会う人となると、もっと少ない。

 それに、こちらでお世話になっている博物館でも、関係者どうし親しい人間づきあいをするのは、それほど簡単なことでない。すれ違えば挨拶を交わすし、たまに立ち話もする。月に1度くらい飲み会もある。でも、そこまで止まり。何年も一緒に働いている米国人どうしでも、仕事帰りに連れだって遊びに行くなどして、友だち付きあいをしている人は、あまり見ない。むしろ、お昼休みに会議室で食事をしている人びとを見ても、驚くほど静かで、会話はなく、「お互いのことはあまり知らない」とまで聞いた。

 「米国人と話して英語の練習をする機会は、思ったより少ない」 フランス系カナダ人の友人にボヤいてみた。公園で知りあった御近所さんだ。このとき私は、同じくことばの壁をもっている彼と、英語の学習法について話をしているつもりだった。ところが、彼は目を大きく見開いて、急に声を荒げ、熱く語りだした。「それは、きみ、危険信号だよ!」 彼もニューヨークに来て間もないころ、友だちがいない生活を続けていた。最初は特に気にしていなかったが、2年くらい過ぎたあたりから、自分が孤独だと思うようになり、同時に「うつ」だと気づいたという。私は、彼がどれほど孤独だったか、そろそろ理解できるようになっていた。

 ある人はいう。「ニューヨーカーは忙しすぎて、新しい友だちを作る暇なんてないのさ」と。またある人はいう「こんなに出入りの激しい街だと、誰かと仲良くなる気になんてなれないんだよ」。こんな声も聞こえる。「家が遠い人が多いから、学校のあとも、仕事のあとも、すぐ散り散りさ」 とにかく、新参者はこの街の冷たさを、嫌というほど味わうものらしい。

 そもそも米国社会は、個人主義的な傾向が強いといわれるではないか。その個人主義が都市部でさらに増すのだとしても、想像に難くない。そして、なかでもニューヨークは、なんせ都市のなかでも群を抜く大都市だ。ニューヨーカーがきわめて個人主義的で、その他の街から来た人びとから「冷たい」と思われるのだとしても、もともと驚くべきことではないだろう。

 

韓国の友だち付きあい

 時はさかのぼって、1998年の夏。私はソウルに初めて長く滞在した。ことばも話せなかったし、知りあいもいなかった。住まいは、短期留学先の大学の目の前にある、「まかない付き」の下宿だった。語学学習に燃えていたので、語学研修所と図書館と下宿とを行き来するだけの毎日で、ほとんど缶詰生活をしていた。

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韓国では、おひとり様の率がかなり低い。 (2011年8月撮影)

 それなのに、友だちはすぐに出来た。同じ下宿に、年の近い韓国人の大学生たちばかりが10人くらい住んでいて、食卓をともにすることで知りあい、図書館でよく出会って親しくなり、週末はテレビがある部屋にお呼ばれしたりするまでになった。やがて、そのテレビがある二人部屋へ、同じ下宿のなかで引っ越した。これにより、ひとりでいる時間がなくなった。たまにひとりで散歩や銭湯に出かけようとしても、「どこ行くの? 一緒に行こう」と、ほぼ誰かがついてきた。プライバシーを欲する衝動が切実化するほど、濃厚な交友関係だった。

 1990年代までの韓国では、これが普通だった。学生も、勤労者たちも、主婦たちも、老人たちも。ひとりで軽食屋さんなどに入ると、変な目で見られた。ひとりでカフェにいる人も、映画を見ている人も、「ちょっと変な人」だった。もっとも、2000年ごろから韓国の大学生もワンルームを好むようになり、人と人との距離は、徐々にあいてきているようだが、それでも日本と比べてまだまだ近い。多くのオフィスでは、みんな一緒に残業し、「そろそろ上がろう」となると、みんなで酒場へ向かう。大ざっぱにいって、米国が個人主義なのだとすれば、韓国は集団主義というわけだ。

 

孤独な北東アジア人

 そんな社会で育った韓国人にとって、ニューヨークでの生活は、余計に孤独を感じさせるようである。この便りに毎回のように登場している韓国人男性Aによれば、孤独は米国に来た韓国人が最初に乗り越えなければならない大問題だという。「ひとりでも食事が出来るようになるまで、1年くらいかかったよ。ひとりで食べるんだと思ったら食欲がなくなって、しょっちゅう食べずにやり過ごして、10kg以上やせちゃった」 ひとりで食事できるようになった今のAは、貫録のある腹部を触りながら、当時の自分を笑えるようになっていた。

 では、Aはどうやって孤独を解消したのだろうか。「状況はひとつも変わらないよ。ただ、少しは知りあいが出来たのと、孤独に慣れたのと、自分自身が麻痺したのと、……それから期待値が下がっただけさ」 この期待値というのが、外国で暮らす韓国人の場合には、大きな壁のように思われる。

 韓国人女性Cの場合も、どうも期待値が高すぎるように見える。「最初は(語学学校で)友だちを作ったけど、みんなすぐ帰国しちゃった。(中略)それに、毎日一緒に御飯を食べようとしたり、引っ付いてまわっていたら、露骨に拒否されたわ。どうして?」 そういう韓国人を他にも知っている私としては、苦笑いが出る話でもある。「語学学校を出たあと、しばらくは韓国人とばかり一緒にいたの。そうしたら、また英語が出て来なくなっちゃった」 そこで彼女は、また学校に通おうと考えた。料理学校、フラワー・アレンジメントの教室、ヨガ道場に、ダンス・スクール……。だが、どこに行っても、彼女が望むほど濃厚な交友関係は築けなかった。「移民一世は、社会に同化できないのかしら……」

 中国人男性のGは、期待値が低いものの、米国人の友だちに飢えているという。「米国人は英語が出来ない人間を人間だと思わないで無視する」とか、「外国人が珍しい街と違って、ニューヨーカーは外国人を気にかけたりしない」ということばを、私は彼からよく聞く。「そういうことは、仕方がないことだとして、あきらめているんだけどね……」

 

友だち探しが不利な人?

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見知らぬ者どうしが会話するのは、
そもそも、ひとりでいる人が多いから。
(2012年8月撮影)

 友だちが出来にくいのは、誰でも同じなのか。それに対しては、「No」の声が聞こえる。たとえば、同じくGは、こんなこともいう。「同じ東アジア人でも、女の子たちは米国人たちとすぐ友だちになれる。だけど、東アジアの男は無視される。(中略)(他の民族的出自の人びとに比べると、東アジアの男性たちは)男らしくない。大人も、子どもみたいに見える。だから、社会で僕たちは、性別がない変な生き物」 東アジア系の男性が特に不利だという話は、Gの他にも、米国在住のアジア系男性たち(韓国人、中国人、タイ人、ベトナム人、日本人)から何度となく聞いている。

 私自身も、東アジア系男性のひとりとして、経験上、同感できる部分もある。私がそう思う理由は、女性は男性からチヤホヤされるからとか、女性どうしでも親しくなりやすいからというだけではない。それに、東アジア系男性の男性性が米国で理解されくいから、などという以外にも、いくつかある。ただ、これは今回のお題から話が多少ずれることなので、また何か別の機会にお話できればと思う。

 さて、私の友人のなかには、さらに友だちを作りにくい状態にいる人びともいる。幅広い交友に慣れていない人だ。典型的なのは、中国人の男子留学生、Eである。彼は、ニューヨークでは周囲の中国人とすらあまり一緒にいようとしない。「だって、一緒にいると落ち着かないんですもん」 Eは、北京出身で、幼いころからスーパー・エリートとしての人生を歩んできた人物。ニューヨークに留学して初めて、地方出身で北京語を話せない中国人や、名門教育を受けていない人と接することになったという。「ああいう人たちといると、(あれこれ教えてあげなければいけない子どもたちみたいで、)中学校の先生として仕事させられているみたいな気がするんですよね」 そんな彼が、ニューヨークでいちばん好きだという場所は、大学院の研究室。逆に、嫌いだという場所は、なんとチャイナタウンだ。しかも、彼が「落ち着かない」という相手は、中国人だけではない。「ニューヨークに住む人は何百万人もいて、多種多様。それでも、気が合う人、疲れない人は、きわめて少ないのです」

 こうしたことを紹介すると、まるでEがお高くとまっている鼻つまみ者のように聞こえるかもしれない。しかし、どこの社会においてもエリートは少数者である。こうした「エリートの孤独」というものも、いわば社会的少数者のあり方。社会のなかの、ひとつのサブ・カルチャーなのだと、私は思っている。また、彼は中国でたいへん固い覚悟をし、熾烈な競争を勝ち抜いて、やっとのことでニューヨークに来ることが出来たそうだ。そんな彼が「自分は他の人と違う」と思っていたとしても、彼のことを「弱者への思いやりが欠ける人間だ」とまで思うことは、私には出来ない。むしろ、彼のこうした発言の陰に、優越意識以外の、なんだか別のものも潜んでいるように思える。ちょっと純粋すぎて、あまりに真っ直ぐな、いわば無垢さすら感じるのだった。

 反面で、もちろん残念に思うこともある。せっかくこの多様性の街に住んでいるのだから、自分と違う背景や特徴をもっている人たちを受け入れていければいいのに、と。ニューヨークは、とにかく色々な人たちが接しあう、その包容力でいえば世界最高級の街なのだから。でも、こういう勝手なお節介は、ニューヨークの特徴を云々するのならば、逆に禁物だとも思う。ニューヨークには、自分の殻に閉じこもりたい人だって、たくさんいる。彼/彼女らは、ここにいていいのである。そういう人たちに意地悪をして、排除するという、ムラ社会のような気質は、この街にはない。この街は、そんな人たちのことだって、いつも優しく包み込んでくれているのだから。