国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

研究テーマ・トピックス|韓敏

半分の天を支える──中国の漢民族の女性

 

中国は56の民族からなっている多民族国家である。1990年の人口センサスによると、漢民族は全人口の92%を占めており、主に中部と東部の沿海地域に居住している。全人口の半数を占めている女性人口の内に、92%は漢民族の女性である。世界でもっとも人口の多い漢民族は長い歴史の中で周囲の民族と融合しながら形成され、その文化も他の民族文化と融合し、それらを吸収しながら形成されたものである。漢民族文化はイコール中国文化という図式ではないが、長い間、漢民族の生活様式やものの考え方は中国文化の主流を成してきたことはいえる。漢民族の女性の生き方とあり方は長い歴史の中で大きな変化と持続性を見せている。


「女カ団土造人」と「女カ造石補天」という二つの有名な神話に登場する主人公の女カは、人間、彼らの結婚のルールまでつくり、宇宙の秩序を取り戻したといわれている。女カは農耕社会に入る前の採集狩猟時代に活躍していた逞しい女性の化身であり、今日でも中国人の間で広く伝えられている。


農耕社会に入ると、女性は次第に社会を支える主体的な存在から従属的な立場に転じた。その男女の地位の移り変わりは、漢字の構成にもよく現れている。意符の田(耕す)と意符の力とから成る「男」という字は、耕作に耐える力の意を表す。ひいて、耐える力を持つ「おとこ」の意に用いる。それに対して、男の反対語である「女」は、人がひざまずいて両手を前に交えて、体をくねくねさせている形にかたどる象形文字である。また、妻を表す「婦」も女との象形文字からなっていて、箒を手にした既婚女性の姿をかたどるものである。


これらの文字の構成は、ある程度「男は外、女は内」という農耕社会の男女の分業とその分業による男性の優越性と女性の従属的地位を反映している。農耕で生活を支えるようになると、社会は徐々に男性中心となる。田畑を耕すには道具を使うので、腕力が必要になり、そこで力のある男性が家の大黒柱になるわけである。それに対して、女性は主に家事をやるので、労働力の換金度や経済価値が低いため、経済面において男性に依存してしまう。逆に経済的自立を獲得すれば、女性はある程度の自由が得られる。たとえば、南方の広東省の養蚕地帯によく見られる「姑婆屋──娘宿」がある。


女性の経済的劣勢は彼女たちの家族と社会全体における地位の低さにもつながる。儒教的家父長制の下に女性の地位を示すものに「三従」「妻の七出」という習慣がある。女性は生まれては父に従い、嫁しては夫に従い、老いては息子に従うべきである。また、結婚した女性は、父母の言いつけに従わない、子供が生まれない、淫乱である、嫉妬深い、おしゃべりである、窃盗を犯す、病気がちであるといった七つのうち、いずれの理由でも夫が離縁を言い渡すことができる。


農耕社会の形成から1949年までの4000年の間に、もちろん、漢代や唐代のように一時的にまた、一部の階層の女性にとって比較的に自由な時代もあった。またアヘン戦争後、沿海地区が開放され、欧米の進化論、天賦人権と男女平等の思想が中国に流入し、中国のブルジア知識人による女性問題研究と女性解放の実践も活発化し、欧米の宣教師による女子堂も開設されたが、しかし、1949年までに、中国人口の9割以上を占めている農村においては、女性のあり方は本質的な変化がみられないように思われる。その抜本的な変化がみられたのは、1949年以降の社会主義革命の時代と社会主義市場経済の時代である。毛沢東時代は計画経済の体系の下に行政の手段で女性の男性とのほぼ平等的な社会・経済的地位を確立させた。社会主義市場経済への急速な転換によって女性は自分たちの力で自分たちの生き方を決めるように、あるいは決めなければならないようになっている。


私の調査した安徽省北部の事例を見ると、生まれてから死ぬまでの人生の各段階における女性の役割と生き方は、伝統的農耕社会、社会主義革命以降と社会主義市場経済体制の現在において、大きく変化している。詳しいことは、以下の論文をご参照ください。