国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

研究テーマ・トピックス|野林厚志

民族考古学

 
民族考古学

私の専門である「民族考古学」とは、「現代の行動の観察とそこから生じる物質的記録の分析を通し、考古学資料の生じた背景と資料の各属性との関係を研究する分野」と定義できる。換言すれば、民族考古学者の目的は物質記録に刻み込まれた人間の営みを読み取るための理論と方法とを確立すると同時に、物質文化そのものを人間の行動という視点から理解することにある。


民族考古学とはもともと考古学者が考古学資料の解釈のためのモデルを民族誌に求めたところから出発している。考古学資料はあくまで物質にすぎない。考古学資料を用いて過去の人間の行動を復原するためには、考古学資料と行動とを結ぶ仮説モデルが必要となるからである。簡単な例をあげてみよう。海辺にあるもしくはかつて海辺にあったと考えられる集落遺跡から、同じような大きさの溝がはいった丸石が大量に見つかったとする。考古学者はこの石が何に使用されていたのかに関心を持つだろう。そして、そのうちの何人かは漁村の民族誌をたよりに、それらが漁業活動に使用する石錘であったと推論するかもしれない。民族誌に記載されている石錘の形態などはこうした推論に用いられることもある。用途不明の遺物を、これと似たものを現生民の民族誌の中に探し出して、その類似品の用途から遺物の用途を推定するといった方法は「民族誌的対比法」とよばれている。多くの批判を浴びながらも、実はこの方法は無意識にとられることが少なくない。石錘の例でいえば、海辺という漁労活動に適応した環境条件もこうした推論を導く一つの要素となっている。 では、海辺ではなく砂漠にある遺跡で同じような遺物が見つかった場合、考古学者はどのように考えるのだろうか。実は、漁村で使用されている石錘と同じような形の石は遊牧民の機織の道具の一部として使用されている。織物を張るための重りに使用されているのである。


環境条件も生業形態も全くことなる2つの社会で、同じような形の道具が異なる目的のために使用されていることは物質文化を読み解く上で非常に重要な鍵をにぎっている。「重り」という同じ機能をもつ道具が異なる社会で、異なる脈絡のなかで使用されていることに我々は注意を払わなければならないのである。そして、石錘といった日常的な道具だけではなく、物質文化全般についても同じようなことがおこりうるのである。つまり、物質文化はそれが存在する、社会的、環境的脈絡の中で理解されるべきということである。


歴史科学における過去の類推モデル
「歴史科学における過去の類推モデル」
([GIFFORD-GONZALEZ,1991:222 Fig.1]より)

図は歴史科学に於ける推論の手順を図式化したものである。網掛けの部分は我々が観察することのできる範囲を示しており、これに含まれる三つの要素をもとに過去の行動や社会を復原することになる。これらの要素を連結させるためには、現代の行動プロセスを観察し、そこから生じる物質的記録との関係を明確にする道筋(1)、続いて、現代の行動から生じた物質的記録と考古学資料を比較し、その類似性を評価する道筋(2)、そして、考古学資料から過去の行動プロセスを推論する道筋(3)が必要となる。ここで導き出された過去の行動プロセスは、現在の行動プロセスと比較され検証されることになるが、あくまで過去の復原は(3)の道筋によって行わなければならない。しかしながら、(3)の道筋が独自に成立することは非常に難しいであろう。なぜなら、推論には必ず根拠となる事実が必要であり、その根拠として現代の知見が考古学資料の解釈に用いられることが多いからである。すなわち(1)の道筋が(3)の道筋には必要であり、この(1)の道筋を担う一つの研究分野が民族考古学である。

 
台湾におけるイノシシ猟研究
イノシシの下顎やシカの頭骨
「パイワン族の家屋内部に吊されたイノシシの下顎やシカの頭骨」

本研究の目的は、農耕民の狩猟活動がどのようなプロセスで遺跡化していくかということを民族考古学的アプローチにもとづいて検証することである。この目的のために台湾原住民族のパイワン族、ツォウ族が行なってきたイノシシを対象とした狩猟行動を参与観察によって記録すると同時に、これらの狩猟行動で得られた捕獲個体の齢構成を明らかにした。これら2つの結果を連結させながら、社会が規定する人間の行動、狩猟技術、動物の生態学的な性質といった諸条件が、考古学資料としての動物遺存体の形成過程において与える影響について考察してきた。


狩猟活動に関する民族考古学的研究は、ビンフォードによるヌナミウトのカリブー猟の調査、バートラムのサンの食糧残滓に関する調査、オブライアンによるハッザの狩猟活動の調査等、もっぱら狩猟採集活動を経済活動の基盤とする集団を対象にして行なわれてきたこれらの研究では、集団の移動パターン、狩猟方法、動物資源の利用様式といった人間の行動が、それによって生じる物質的記録、とりわけ考古学資料としてきわめて一般的かつ重要である動物遺存体にどのように反映されていくかについての議論が展開されてきた。


一方、農耕民の狩猟活動については、生態人類学、民俗学などの分野における先行研究が多く、狩猟活動の経済的評価、狩猟技術やその伝承に関する記述、狩猟者の自然観などを中心に多くの知見が蓄積されてきた(千葉)。しかしながら、こうした分野における研究は、考古学者が考古学資料の解釈を行なううえで必要となるデータが必ずしも十分に提供されてきたとは言えない。


従来の生態人類学や民俗学で行なわれてきた農耕民の狩猟活動に関する研究と民族考古学的アプローチにもとづく本研究との違いは、本研究が狩猟活動にともないどのような物質的記録が残されていくかという問題の検証に主眼をおいている点である。人間の行動や動物の生態学的な性質を含めた狩猟活動の復原を、具体的な考古学資料の分析を通して行なう際に不可欠となる仮説モデルの構築を本研究は目指すものといえる。

 
狩猟方法による遺跡化の差異

本研究において調査の対象とした資料は、台湾の原住民族の狩猟者によって捕獲されたイノシシの下顎骨である。これらはいずれも狩猟者の家屋に懸架されていた。資料の総数は341点で、内訳は狩猟者ごとにPA-s(PA-s-1~PA-s-158)群158点、PA-l(PA-l-1~PA-l-100)群100点、TS-m(TS-m-1~TS-m45)群45点、TS-p(TS-p-1~TS-p-38)38点である。すべての資料について萌出段階と咬耗指数の評価を行ない、PA-s群については、基本的な部位について計測を行なった。


動物遺存体の分析と並行して、これらの個体が捕獲、利用されたプロセスについて、野外調査による観察および聞き取り調査を行った。PA-s群とPA-l群の資料は、パイワン族の狩猟者が罠猟によって捕獲した個体群である。両者の間には狩猟者の次のような行動の違いがあった。


(1)PA-s群は慣習的な生業活動に組み込まれた狩猟活動であり、農繁期(12~2月)には狩猟活動が低下していた。一方で、PA-l群は通年的に同様な狩猟活動が行なわれていた。(2)PA-l群の捕獲に使用されていた罠は既製品のとらばさみであるのに対し、PA-s群の捕獲には慣習的な脚くくり罠ととらばさみの両方が使用されていた。TS-m群とTs-p群はツォウ族の狩猟者が犬を用いた追跡猟によって捕獲した個体群である。Ts-m群は数年間にわたり捕獲されたものであるが、一部は彼らの文化活動に提供されたために他の場所へ移動されており、狩猟した捕獲個体すべてが残されてはいなかった。Ts-p群はある年の2~8月までに捕獲された個体であった。


パイワン族とツォウ族の狩猟活動の違いで興味深い点は、両者におけるイノシシに対する価値観の相違が、採用する狩猟方法の違いや捕獲後の下顎骨の扱いに差を生じさせていたということである。  両方の民族グループにとって、狩猟活動は主要な生業活動としては位置づけられていない。狩猟活動はいわばマイナー・サブシステンスの範疇にはいる生業活動である(松井1998等)。彼らの狩猟活動の目的は動物性資源の収奪ならびに害獣駆除にあると考えてよい。したがって、効率的にイノシシを捕獲するための手段としては罠猟が最適であり、それを採用する狩猟者が一般的である。一方、ツォウ族にとっては、大型のイノシシと素手で組し負傷することが男性が社会のなかで一人前の「男」として認められるための条件とされてきた。そのため、大型の成獣を探索して捕獲するために犬を用いた追跡猟を行なう男性が存在していた。ツォウ族にも罠猟を採用する者はいたが、こうした狩猟者は必ずしも全ての下顎骨を懸架しておらず、狩猟行動が自己意識を発露する手段とはなりえていなかった。


従前の民族誌的な情報を踏まえたうえで、歯牙の萌出段階ごとの個体数分布およびM.W.S.にもとづく相対齢の度数分布を比較したところ、次のような特徴がみられた。
(1) PA-s群とPA-l群とでは、萌出段階ごとの個体数分布およびM.W.S.にもとづく相対齢の分布に有意な差がみられない。
(2)PA-s群とPA-l群では当歳獣、1歳獣において月齢による捕獲個体数の変動がみられる。
(3)PA-s群とPA-l群が当歳獣、1歳獣の割合が高いのに対して、Ts-m群およびTs-p群は捕獲個体が成獣主体である。


(1)から検証できることは、パイワンの生業カレンダーにもとづいたS氏の狩猟行動の変化や罠の様式の差異は捕獲個体数の変動には影響しないということである。(2)における個体数の月齢による変動の理由は、イノシシの生殖サイクルにもとめることが可能である。タイワンイノシシは9~10月にかけて発情し、10~12月にかけて交配、3~4月にかけて出産するという生殖サイクルをもっている (趙1988)。したがって1ヶ月あたりの捕獲数が最大となる6~7ヶ月齢の個体は8~1月に捕獲されたことになり、タイワンイノシシの発情及び交配の時期に重なる。これは母イノシシが交尾の準備にはいるころから当歳獣の親離れが起こり、経験の浅い当歳獣が単独もしくは幼獣だけで行動する機会が増え、罠にかかる確率が高くなると考えることができる。(3)が示すのは、動物遺存体に与えられる人為的要因や狩猟方法の違いによって捕獲個体群には差異を生じるということである。狩猟者からの聞き取りからは、犬をうまく仕上げることによってより大型のイノシシを捕獲することが可能であることなどが示されている。


これらの結果から台湾の原住民族が採用していた狩猟法の特徴について言及する。罠猟は罠を一旦設置してしまえば、それ以降は動物側からの接近を待たざるをえない。つまり罠の設置の段階では捕獲個体の選択を試みることはできるものの、実際の捕獲時には人間の意図は反映されないということである。換言すれば、罠猟はいわば日和見的な性格をもった猟法であり、サイズや性別が厳密に選択される例は少なく、結果として最も個体数が多く経験の浅い若齢獣から捕獲されていく。一方で、人間自身による追跡猟、犬を使った追い込み猟などは、実際の捕獲段階に狩猟者側が捕獲個体を認知でき、罠猟などに比べて捕獲個体の選択の余地が残された猟法といえる。

 
まとめ

本研究で分析の対象としたイノシシの下顎骨は、罠猟や犬を用いた追跡猟を行なった場合に生じた物質的記録、換言すれば、潜在的な考古学的記録と考えることができ、同様な出土遺物をもつ遺跡の解釈には、本研究が提示するデータ及びその解釈は有効となる。


狩猟活動はそれがメイン・サブシステンスと位置づけられる場合とマイナー・サブシステンスとなる場合とが考えられる。農耕民の行なう生業活動はマイナー・サブシステンスとしての位置づけが適当であるが、こうしたマイナー・サブシステンスの歴史的な発展プロセスを考慮にいれた考古学的研究は少ない。一方で農耕民の狩猟活動はメイン・サブシステンスである農耕活動と密接に連関している。それは狩猟活動が動物性資源の収奪と同時に、メイン・サブシステンスによる収穫物を確保するために害獣を駆除するという目的があるからである。


一連の研究から得られた知見は、とりわけ、イノシシを対象とした狩猟活動が盛んに行なわれてきたとされる日本の縄文時代や東アジアにおける狩猟と農耕との複合的生業を基盤としていたと考えられる集団について、同様な定量的分析を行なった場合に得られるデータを季節性や狩猟法といった観点から解釈する上で極めて有効なモデルを提供できると考えられる。