国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

研究テーマ・トピックス|齋藤晃

 アマゾン川上流のカトリック文化─ボリビア、モホス地方─

 
川と平原と森
雨期のモホス平原

ボリビアの首都ラパスから東部低地の町トリニダまで、直通の航空便なら1時間ほどで飛べる。もっとも、この1時間のフライトは、標高差3880メートルをいっきに下降するダイナミックなものである。アンデス高地特有の乾燥した大地が、川の急流に深く溝をうがたれた峡谷となり、やがて平らな緑の絨毯が果てしなく続く単調な光景が広がる。黄土色に濁った巨大な川が、緩慢な湾曲を描きながら、どうにか流れている。

川と平原と森。これがモホス地方(ボリビア、ベニ県)の地形の3大要素である。この地方は、気候は高温多雨だが、ジャングルは少なく、モホス平原と呼ばれる真っ平らな草原が果てしなく広がっている。雨季になると、この平原は巨大な水たまりに変貌する。アンデス高地に降り注ぐ雨が、ことごとく流れ込んでくるのである。もっとも、平原には、わずかな隆起のおかげで雨季にも水没しない土地が若干ある。そうした土地は通常、木々が生い茂り、こんもりとした森をなしている。巨大な水たまりに点々と浮かぶ森、現地の人々が「島」と呼ぶこの空間が、人間が住める唯一の場所である。

 
雨季と乾季
果てしなく広がる草原

雨季は10月から4月まで、乾季は5月から9月まで続く。雨季のあいだ、モホス平原の60~80パーセントが水没する。陸上の交通網は寸断され、町や村は陸の孤島と化す。雨が多い年には、町や村全体が水没してしまう。近年、カトリック教会やNGOが2階建ての家屋の建設を進めており、そうした家屋の持ち主は、町が水没しても、2階で水上生活を送れるようになった。ベニ県の県庁所在地トリニダは、水没を免れるため、堤防の役割を果たす環状道路に取り囲まれている。排水ポンプが絶え間なく稼働し、市内の水を市外に放出している。それでも、毎年水害が絶えない。

乾季には、水害のおそれはなくなるが、寒冷な南風が定期的に吹く。ひとたび南風が吹くと、気温は摂氏15度前後に下降し、数日間回復しない。湿潤な環境で、15度がどれほど寒く感じられるかは、実際に体験した者以外にはなかなか理解されない。わたしは持ち合わせの服をすべて着込み、毛布にくるまって過ごしたが、それでも体の震えが止まらなかった

 
イシボロ川をさかのぼる
交通手段
チャフモタ川から見た光景

河川はもっとも重要な交通網である。現地の人々は自家製の丸木彫りのカヌーで河川を航行する。流木がいたるところに露出する乾季より、雨季のほうが河川での移動に適している。円を描くように大きく湾曲した川の本流を離れ、水浸しになった森を突き抜けて近道できるのも、雨季の利点である。もっとも、1本の櫂を操ってカヌーを自由自在に動かせるようになるためには、かなりの熟練を要する。素人は同じところをぐるぐる回るばかりで、なかなか前に進めない。


水没した草原

乾季には、馬による陸の移動が可能になる。真っ平らなモホス平原は、馬での移動に向いている。もっとも、乾季になっても消滅しない沼沢地があちらこちらにあり、人の身の丈以上の葦が生い茂り、行く手を阻んでいる。水が深ければ馬を降りて歩くことになるが、注意が必要である。わたしは一度、葦のため視界がきかない広大な水たまりのなかで迷子になり、長時間彷徨したことがあった。

 
ミッションとその遺産
女性信徒の会食

モホス地方の先住民の文化の中核は、意外なことに、ヨーロッパからもたらされたキリスト教である。17世紀末、カトリック系修道会のひとつであるイエズス会がこの地方に進出し、ミッション(伝道区)を築き上げた。数多くの小集落に分散していた先住民は、西欧式の大きな町に集められた。キリスト降誕祭や聖週間、守護聖人祭などの年中行事が、カトリックの宗教暦に即して祝われるようになった。人生のサイクルは、洗礼、聖体拝領、婚姻、終油などの秘跡により節目づけられた。学校が開設され、子供たちが祈祷や公教要理を学んだ。賛美歌を演奏する楽隊が組織されるとともに、工房が設けられ、ハープやチターなどの楽器が制作された。イエズス会は1767年、政治的理由で追放されるが、100年たらずのあいだに形成された独特のカトリック文化は、現在に至るまで、先住民の生活の中心に位置している。


コンゴウインコの羽毛の冠

実際、ミッション時代の伝統の重みは、いたるところに感じられる。正方形の広場を中心に碁盤の目状に広がる居住空間。平屋の建物のなかでひときわ威容を誇る聖堂建築。袖なしのワンピースを着、髪を三つ編みに結い、首から聖母のお守りを下げて、町中を闊歩する女性たち。自家製のヴァイオリンやフルートを演奏し、賛美歌を歌う楽士たち。羽毛の冠や装束を身にまとい、仮面をかぶり、華麗な踊りを披露する踊り手たち。ミッション時代に形成されたカトリック文化は、その生命力をいまだに失っていない。

 
マチェテロ(山刀使い)の踊り
 
アイデンティティの創出
トリニダシトの中央広場

モホス地方の主要な先住民族は、モヘーニョ、カニチャナ、モビマ、カユババ、イトナマ、バウレの6つである。最大の集団はモヘーニョだが、彼らは3つの下位集団に分かれている。トリニタリオ、イグナシアノ、ハベリアノがそうである。これらの民族名称は、スペイン語でそれぞれ「トリニダの住民」、「サン・イグナシオの住民」、「サン・ハビエルの住民」を意味する。


トリニダシトの子供たち

17世紀末、イエズス会士はモホス平原南部にトリニダ(1687年)、サン・イグナシオ(1689年)、サン・ハビエル(1691年)という町を創設した。そこに集められた人々は、もともと異なる民族に属し、異なる言語を話していた。しかし、時を経るにつれ、民族的・言語的差異は消滅し、町の住民は単一の民族へと収斂していった。現在のモホス地方の民族構成は、イエズス会のミッション建設の歴史的帰結なのである。

 
守護聖人祭
守護聖人祭の行列

町には守護聖人が定められ、聖人名がそのまま町の名前となっている。たとえば、サン・ロレンソという町の守護聖人は、ローマ時代の殉教者ラウレンティウスである。聖人にはそれぞれ祝日があり、ラウレンティウスの場合、8月10日がそうである。守護聖人の祝日には、盛大な祭礼が催される。祭礼前夜、美しく飾られた聖人像の前で、祈祷の読誦や賛美歌の演奏、舞踏などが繰り広げられる。祭礼当日、聖堂でのミサのあと、聖人像が御輿に載せられ、町の広場を巡回する。楽士や踊り手は役人や有力者の家を訪問し、1日中、歌や踊りを披露する。広場には、木の囲いが設けられ、牛の荒乗りが行われる。囲いの中央には高い棒が1本立てられ、その先端に衣服や酒瓶などがつり下げられる。棒をよじ登った者がそれらの品を手に入れるのだが、棒には石けんが塗られており、よじ登るのは容易でない。モホス地方でもっとも有名な守護聖人祭は、7月31日のサン・イグナシオのものである。平原のただなかに位置し、長いあいだ周囲から隔絶されていたこの町には、伝統的な音楽や舞踏が維持されている。

 
天使の踊り
牛の荒乗り
 
土着信仰
箒の踊り

17世紀末以降、イエズス会により推進された先住民のキリスト教化は、それ以前の信仰を完全に払拭しはしなかった。土着信仰は、周縁化され、公然と実践されることはなくなったが、消滅することなく、形態や機能を変えながら、根強く存続してきた。現在でも、そうした信仰は、唯一神への信仰とは異なるものとして、多少の不信感やためらいとともに実践されている。具体的には、自然界の精霊の信仰、邪術、悪魔信仰、死者信仰、メシアニズムなどである。自然界の精霊とは、森の動物の主や、川や湖の魚の主などである。大空にかかる虹は、後者の化身である。虹は人間を水中にさらい、召使いにする。川や湖でおぼれて行方不明になった人は、虹にさらわれ、水中で生活している。そして夜中、魚を手みやげに地上の親族を訪れるといわれている。悪魔は大きな蟻塚や大木のうろに住む。悪魔から邪術の知識を授かりたい者は、彼と契約を結ぶため、夜中蟻塚を訪れ、地面を蹴飛ばす。すると、さまざまな商品を満載した百貨店のような悪魔の家が出現するといわれている。

 
チキトス地方の聖堂
サン・ミゲルの聖堂(チキトス地方)
サン・ホセの聖堂(チキトス地方)

ミッション時代、町にはイエズス会士の指導のもと先住民が建設した聖堂が威容を誇っていた。これらの聖堂は、1000人から2000人の会衆を一度に収容できる巨大なものであり、ファサード(建物正面)や祭壇衝立はバロック様式の装飾できらびやかに飾られていた。高温多雨のモホス地方では、木造建築は朽ちやすく、当時の聖堂で現存しているものはない。

しかし、やはり17世紀末にイエズス会がミッションを建設したチキトス地方(ボリビア、サンタクルス県)には、原状修復された聖堂が残っている。サン・ハビエル、コンセプシオン、サン・ミゲル、サン・ラファエル、サン・ホセの聖堂である。


サン・イグナシオの楽士(チキトス地方)

例外的に石造りであるサン・ホセの聖堂を除き、これらの聖堂はいずれも、ゆるやかに傾斜した巨大な屋根が、4列の太い柱列に支えられており、周囲を柱廊に取り囲まれている。簡素で洗練された造りの聖堂は、外部の壁面装飾や内部の祭壇を含めて往時のままの壮麗さに復元されており、見る者に強烈な印象を与える。チキトス地方の聖堂は、1990年、ユネスコの世界遺産に指定された。

 
サン・ハビエルの聖堂の内部
(チキトス地方)
コンセプシオンの聖堂の内部
(チキトス地方)
サン・イグナシオの聖堂の祭壇衝立
(チキトス地方)
 
外部世界との関係
キリスト降誕祭期間中の踊りのひとつ

モホス地方の先住民はよそからの来訪者に親切である。来訪者をもてなすことは、アマゾンの先住民の文化的規範の一部なのだが、モホス地方の場合、それにキリスト教の隣人愛が加味されている。突然の訪問でも、門前払いをくらうことはまれである。牛皮を張った自家製の椅子が用意され、チチャ(マニオクの発酵酒)やレモネードが差し出される。もっとも、よそ者に対する不信感が欠如しているわけではなく、むしろ根深い不信感が歓待の規範と併存している。1767年のイエズス会追放後、先住民は白人や混血の入植者の抑圧と搾取にさらされてきた。彼らは土地や家畜を奪われ、従属的地位におとしめられた。住み慣れた町を放棄して離散したり、武力抵抗を試みることもたびたびあった。そうした経験が、強い民族意識、伝統への固執、土地への執着などに凝縮されている。


カーニバル期間中の踊りのひとつ

近年、エコツーリズムの流行や民族文化への関心の高まりに伴い、モホス地方を訪れる観光客が増えている。たしかに、ボリビア・アマゾンの自然はすばらしいし、カトリックの祭礼は芸術的価値が高い。しかし、この地方を訪れる人々は、どうか忘れないでほしい。一見して無人に見える自然環境は、実は先住民が数世紀にわたって守ってきたものであることを。そして、観客のまなざしに無防備に身をさらしている祭礼の踊り手は、実は観客を注意深く観察しているということを。

 
土地を守る闘い

モホス地方の先住民は、アマゾンの豊かな自然資源を商業化しようとする白人や混血の入植者と、絶えず緊張関係にあった。19世紀末から20世紀初めにかけて、天然ゴムの商業開発が先住民社会に深刻な打撃を与えたが、現在、とりわけ問題になっているのは、牧畜業者や木材業者による土地の収奪と自然環境の破壊である。彼らに対抗するため、先住民は1980年代末以降、自治組織を作って団結し、政府や世論への働きかけを強めている。1989年にベニ先住民族本部(CPIB)が結成され、翌年には「領土と尊厳のための行進」が実施された。8月15日、モヘーニョを中心とする約300人の先住民がトリニダからラパスに向けて出発した。一行は道中その数を増やし、9月17日にラパスに着いたときには約800人に膨れ上がっていた。この示威行動は全国レベルの注目を集め、政府は政令を発して先住民保有地を創設するとともに、先住民の権利を擁護するための法律を作成する委員会を発足させた。「行進」の成功を踏まえて、土地を守る闘いは現在でも続けられている。

サン・ロレンソの朝やけ