国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

研究テーマ・トピックス|山中由里子

中東世界におけるアレクサンドロス伝承

 
アレクサンドロスにて
アレクサンドロスにて

マケドニアのアレクサンドロス大王の偉業については、王の生前から既に様々な伝説的逸話が生まれ、ギリシア・ローマの歴史家たちが残した伝記の中にも史実と思われる部分と伝説とが混在する。「史実」という動かし難い核に近づこうとする歴史家の思考のヴェクトルとは逆方向に、後世の人々の想像力は、33歳の若さで死ぬまでにエジプトからインダス河領域までの広大な土地を征服したアレクサンドロス大王の事績に刺激され、その華やかで短い生涯を脚色し、空想的な物語に仕立てていった。「アレクサンドロス・ロマンス」と現在呼ばれるアレクサンドリア起源の物語は、ヨーロッパ、北アフリカ、西アジア、インド、東南アジア各地で多様なかたちで流布した。


西アジアへは、六世紀以前にアルメニア人の手によってギリシア語から訳されたとされるパフラヴィー語(中世ペルシア語)版から六世紀初めに作られたシリア語訳をもとに、アラビア語、ペルシア語、エチオピア語訳ができ、各地へ浸透していった。


ペルシア詩人ニザーミーの『アレクサンドロスの書』
ペルシア詩人ニザーミーの『アレクサンドロスの書』

中世イスラーム世界のアレクサンドロスに関する知識の源は、この「アレクサンドロス・ロマンス」に加えて、イランのゾロアスター教徒たちの間で伝わっていたアレクサンドロス伝承、さらにユダヤ・キリスト教説話であった。アラビア語やペルシア語で書かれた歴史書、宗教書、地理書、百科全書、教訓書、物語、叙事詩等と様々な分野の原典資料を探ってみると、アレクサンドロスは単に重要な歴史上の人物としてだけでなく、神から布教の使命を課せられた預言者、君主の鑑、地の果ての探求者、また物語の英雄としても描かれていることがわかる。


【写真左】ペルシア詩人ニザーミーの『アレクサンドロスの書』(パリ国立図書館蔵、Suppl. Pers.1029)より
側近に刺されたダレイオスの最期の望みを聞き入れるアレクサンドロス。