国立民族学博物館(みんぱく)は、博物館をもった文化人類学・民族学の研究所です。

労働と宗教(2) ─プジャがなければ始まらない─

異文化を学ぶ


インドのバスやタクシー、トラックの運転席には神さまの像や写真がよく飾ってある。すさまじい経済発展で交通量は増える一方だが、強引な運転は一向に減らないので、悲惨な交通事故もよく起こる。日本の自動車もお札が飾られているわけで、そのあたりの心理は日本もインドも変わりないのだろう。

ただインドの運転手さんは、こと信心にかけては生真面目(きまじめ)だ。神像を飾るだけでなく、毎朝線香を供え、呪文を唱えてお祈りをする人がほとんどだ。ヒンドゥー教ではお祈りのことをプジャと言い、何でも仕事始めにはプジャをするが、毎朝仕事前にプジャをするという例はそうざらには見られない。

あるとき長距離の自動車移動のため、早朝から運転手さんを頼んだ。出発して少し行くと、片手運転でダッシュボードを探り出した。プジャの暇がなかったとかで、これからすると言う。路肩に止めるのかと思ったら、「ノープロブレム!」と力強く一言。道具を出して片手で線香をつけ、ひざに置いた呪文の本をちらちら見てお祈りをする。その間、対向車線には猛スピードのトラックが来るし、バスは追い越しをかけてくる。全く生きた心地がしなかった。

でも、運転手さんは落ち着いてプジャを済ますと「さあもう大丈夫」とにっこり。
インドの道路の朝はやっぱり、プジャがなければ始まらない!

国立民族学博物館 三尾 稔
毎日新聞夕刊(2008年4月9日)に掲載